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メディアと広告とマーケティング、そしてサービスデザイン。

facebookでのやりとりからネット広告の現状について思うこと(長文

さて、つい数日前、facebookに以下のようなことを書いたところ、興味深いコメントがついたので、このブログにも記録として残しておきたい(※1:以下長いのでよっぽど時間があるときにしか読んではいけません/※2:限定公開ではなく公開設定のfacebook投稿でのやりとりです)。

 

高広 伯彦 - 広告プラットフォーム提供企業の業績がいい、というのが、すなわちゴミ広告が世の中に溢れてることと同義であ... | Facebook

高広)広告プラットフォーム提供企業の業績がいい、というのが、すなわちゴミ広告が世の中に溢れてることと同義である、という時に、業界は一体どこに向かうべきなのか。清濁併せ飲むのか、
それとも、
武士は食わねど高楊枝、
なのか。

 そこに、リコメンデーションウィジェット型ネイティブ広告プラットフォームを提供してる企業のとある部署の部長(以下F澤さんと表記)から、以下のようなコメントが入った(もう一つ興味深いコメントが入ったのだけれども残念ながら議論の元になる素地の距離がありすぎると感じたので、そちらは途中でやめさせていただいた)。

 

F澤さん)平素より高広さんの投稿やmediologicなどで、考え方や広告業界について勉強させていただいている中で反論めいた発言をすることはとても恐縮なのですが、最近の投稿を拝見している中で、アドネットワーク各社の取り扱う、おそらくはダイレクトレスポンス広告全般とその露出方法への厳しい言及にはあまりよく思っていません。

まず私は美容健食コスメサプリなどの広告への業界関係者の厳しいヘイトについて疑問視しております。高広さんの仰るところの「ゴミ広告」に助けられている人が少なからずいると思うのです。というか仮に「
ゴミ広告」によって、インターネット広告市場がここまで、意味不明なほどに伸びているのであれば、それは我々から見たままの「ゴミ」ではなく何らかの役割を発揮しているのであると私は思います。

例えばまさに私の妻がそうですが、妊娠期には葉酸サプリに(雑なLP経由で)CVし、シミが気になる年齢になればシミが消える(?)クリームを定期購入しています。具体的な効果については私からすればよくわかりませんし、有効成分のなんたるかは知ったことではないのですが、それによって彼女の人生は少しだけ充実しているのでしょう。リテラシーの高い方からすれば「情弱」なのかもしれませんが本人は幸せそうなので、私はそれでいいと思います。

ghostlyでSSPからcallされているDSPを確認したり、拡張機能でもって媒体社が設置しているGAMの広告申込情報名やクリエイティブを確認することは一般的なことではないですし、ブランディング広告とダイレクトレスポンス広告を区別している人も稀だと思います。少し前に永江さんという方が記事にしていましたが、私はダイレクトレスポンス広告をクリックしただけで「このメディアは詐欺クリックを誘発しており、情報の品質に疑問があるからもう来ない」という方は実は極めてマイノリティだと思うのです。広告周辺の業界人である我々は、バイアスがかかり過ぎないよう俯瞰して全体をとらえ、舵をとる方向を決断しなくてはならないと思うのです。

勿論誇大広告や、景表法、薬機法に違反するような法の目をくぐり抜ける輩はしかと検閲するべきです。媒体社側で広告として露出させる際のユーザーへの気配りやフォーマットもとても大事だと思いますし、人を騙すようなことは良いと思っていませんが、十把一絡げに「ゴミ広告」や、清濁の”濁"と扱われることにはとても違和感を感じます。

今回の言葉尻だけを捉えている訳ではなく、ここ最近の投稿全般について、影響力が凄まじく高い方なだけに私見を書き込みさせていただきました。はばったく申し訳ありません。そしてお前いきなり誰やねん的な書き込み、重ねて大変申し訳ありません。

 これについてのこちらの返答コメント↓

高広)むしろF澤さんの投稿自体が、近親者の話を少ないN数で自己弁護している業界関係者のエクスキューズだと思います。

必要な人に必要な情報が届くことはもちろん悪いことではないし、薬機法を違反してないモノが売られていること自体は悪いことではない。しかしここで提起している話は、その情報いらんしターゲットでもないし、いま見てるコンテンツに関係ないものを「オススメ」って出されてもそりゃゴミでしょ、薬機法スレスレの広告表記やコンテンツの見せ方してるのは業界の倫理的問題だよな、って話。


F澤さんは、自分の所属の中から世界を見てコメントしてるに過ぎないと思います。

あ、あともう一個、ダイレクトレスポンス広告そのものが悪いなんて一つも書いてないし、むしろダイレクトレスポンス型の広告の仕組みやアドネットワーク形式の広告がもたらしてる問題について自覚的でないんだなあ、という感想を、コメントから持ちましたけどね。

 上記について、F澤さんからのコメント↓

F澤さん)確かに、嫁(n=1)の事例を引き合いに、「実はそれほどユーザーはうざいと思っていない」とするのは乱暴だったかもしれません。すみません。ただ私は業界関係者の身内びいきをする意図などなく、純粋に、なぜダイレクト広告系の主力商品群ばかりが槍玉にあげるのかがわからないのです。フォーマットの話も含めです。

おそらく「ネットの広告がうざいと思いますか?」とアンケートを取れば、「うざいと思う」が過半数を占めることになると思います。ユーザーとして広告はなければないに越したことがないというのが全体論で、
広告がなくなったことによる情報の流通や均質化などにまつわる情報格差などマクロな影響はいちユーザーとしては関係ない話なので。

ただ僕はいちユーザーとして、「無料で情報を享受できる」対価として、「人によってはうざいかもしれない広告」を見せられることに何ら不快感を感じません。僕はスマホゲームが好きなので色々なまとめサイトなどを見ることもありますが、その中でgoogleも含めたADNW各社がしきりに出してくる電子コミックやスマホゲームの広告についても特に違和感を持たないのです。

僕という、いち個人においては、今見ているコンテンツの文脈に関係あるであろう他のスマホゲームや電子コミックの広告も、何ら関係のないサプリメントや健食も、同列にウザくもなく、同様に興味がない広告なのです。コンテキストにマッチした広告とそうでない広告はそれほど変わらないのです。

であるならば、デジタル広告の予算の流通量に沿って特定のセグメントに偏ることはやむを得ないと思います。

ただ、インターネット広告の価値がより多くの人に伝わって、「もっとこんな形で商品・サービスを認知してほしい」という広告主の方がたくさん出てきて勢力図が塗り変わり、配信方法のデファクトスタンダードが塗り変わったら、より幸せで健全な広告の世界があるなあとも思っています。

 上記についての自分のコメント↓

高広)そもそも僕が「槍玉」にあげているのがダイレクト系の広告ばかり、とF澤さんが思ってるのは、F澤さんが僕の投稿の中でそれに関するものを中心に目にしてるかあるいは記憶に残ってるからでしょう。僕は同様に、強制視聴型の動画広告、つまり一般的にはブランディング広告と言われてるものも槍玉にあげてますから。

とはいえ、問題が大きいのはダイレクト系の広告のほうなのは間違いなく、その理由には、

・ダイレクト系の広告はCPCでの取引が多いためにimpについての考慮が少ないため、”無駄になっているimp"や"ユーザーにとって好ましくないimp"についてのケアが成されることが期待できない
→アドネットワークなどの広告プラットフォームとダイレクト型商材を扱う企業の双方にかかる問題

・ダイレクト系の広告については(前述のとおり)薬機法スレスレ、著作権や肖像権についてスレスレのものが多く、法律のグレーゾーン(つまり「法律違反じゃないから大丈夫でしょ?」的スタンス)を突いてるものが多く、これについてはむしろ関係する業者の倫理的な問題が大きいように思われる。
→アドネットワークのクリエイティブに関わる代理店と広告主に関わる問題、及びそういった広告表現を許している広告プラットフォームの問題

というのがあるから。このあたりの話が出てきてもいいんじゃないかなぁ、F澤さんから。で、それを解決する策としてこういうアイデアどうでしょう?!みたいな話がでてくるとすごく前向きな話になると思う。

なのになぜかこちらが全く言っていないような「広告がなくなったほうがいい」という話になっていて、まったくもって筋道通った話になっていないところにF澤さんの思考の手順に疑問を持ちます。

ところで「無料で情報を享受できるのであれば、人によってはうざいかもしれない広告を見せられることについてなんら不快感を感じません」というのは、

1)広告プラットフォームの社員として、”うざくない広告・不快感のある広告”を出さないようにするというとについての努力をする必要はないと考えている。
2)その背景には、”うざい広告・不快感のある広告”を見せることは、無料に対する対価である。

という考え方が見え隠れします。これは非常に危険な思考回路だと思いますね。

高広的には、テレビや新聞などといったトラディショナルなメディアは、技術的にも物理的にもデータに基づいて広告をパーソナライズやコンテクスチュアライズすることは叶わなかった。しかしインターネットの世界ではそれができる。だからこそ本来的には「ユーザーに対してうざい広告」が大量に出ていることはおかしい。これができてないというのは業界的な課題であると考えます。

この、「ユーザーにとってうざくない広告にする」、ないしはそこまでいかなくても「ユーザーにとってうざい広告を減らす」ことはできそうなものの、未だそこまで達していない(いやむしろ退化しているかも)ことに非常にネット広告の危機を感じています。今思えば、AdSense for Content はこの点において素晴らしいプロダクトだと思いますし、これからのプログラマティック広告の世界(残念ながらアドネットワークの世界ではなく)では、DCOのような共通化された仕様が広まれば状況が変わるかもしれません。しかしながら、(○○○○=以下F澤産の所属企業)のような広告プラットフォームにて、しかもメディアソリューション部の部長という肩書にいる方の広告に対する思考回路が「ユーザーにとってうざい広告を出したとしてもそれは無料でコンテンツ見るんだからしょうがないでしょ!」ってことなら、こりゃ日本のネット広告業界は相当ダメだな、と思ってしまいますね。

ところで、同じく○○○○の方が、コンテンツの文脈に関係がある広告だろうが、自分に関係のない広告だろうが、それらは「ウザくもなく、興味がない広告」なのだといってしまうことにも危険さ、というか、「○○○○大丈夫?社長の思いと現場が乖離してない???」って思ってしまします。

「ウザくもなく、興味がない広告」というのは、そもそもそれは広告として「スルーされていて興味が持たれていない」ということであり、「広告の機能不全」なわけですよ。それをF澤さんみたいな人が言っちゃいけません。というか自分たちの境遇ややっている仕事について自覚がなさすぎる気がします。

それと「デジタル広告の予算の流通量に沿って特定のセグメントに偏ることはやむを得ない」という考え方も、現状を許容する考え方であって、現状を課題として変えようとする意志がないのだなあと思います。一方で、ネット広告業界においてブランディングの予算が増えないのは、日本では普及しているアドネットワーク型広告プラットフォームでは広告の質が担保できないからブランディング広告主からは未だ敬遠されていて、それが偏りを生み出してるという説もありますよね。その状況を変えて、ブランディングの予算を増やすことも考えてないのだなあ、とわかりました。

加えて、F澤さんは、”インターネット広告の価値がより多くの人に伝わって、「もっとこんな形で商品・サービスを認知してほしい」という広告主の方がたくさん出てきて勢力図が塗り変わり、配信方法のデファクトスタンダードが塗り変わったら、より幸せで健全な広告の世界があるなあとも思っています” ってコメントしてますが、これこそ「他人事」発言だな、と思います。つまり、”誰かが作ったスタンダードにフリーライドする”ってことを言ってるわけですよ、この発言。

F澤さんの話は、いろんなレベルの話ををごちゃまぜにしてる上に筋道が通ってなくて、しかも業界の”当事者”としての自覚にかけた発言になっていて、他人のせいだし、他人事だし。ほんと大丈夫???って。自分たちで業界を変えるんだ、という意識については、少なくとも○○○○のメディアソリューション部部長にはないのだなあ、と残念な気分になりましたよ。

 

上記コメントを寄せていただいた方も所属はリコメンデーションウィジェットに広告が入った仕組みを提供している企業なので、編集コンテンツであろうが、広告であろうが”リコメンデーション”として機能しているものをもっと提供していきたいのだ!という姿勢であればいいだけだと思うんですが。まぁ、そもそもこちらの最初の投稿を「ヘイト」と捉えてる時点で、変に被害者意識を持たれてコメントされていると思うので、だから自己保身的な論の進め方にしかならないのかもしれないんですが、ネットの広告の現状を「よし」とする思考については非常に残念な思いしかありません。

 

やりとりの途中にも書きましたが、トラディショナルな広告とネット広告の違いは、各種データに基づいて、ユーザーの行動にあった、ないしはユーザーの興味関心や属性に合わせた広告を技術的にも物理的にも配信可能なのがネット広告である”はず”なんですよね。なのにそうなってない。むしろ全く逆の方向にいっている。ここが残念だってこと。

 

博報堂時代にネット広告の黎明期に携わっていた頃は、時代はまだ”常時接続”ではなく、ネットに繋いでいた時間の分だけユーザーに「(ネット接続の)通信費」がかかっていた時代。広告の仕組みの開発をする際に、所属部署での基本的な考え方で僕にもインストールされた考え方が、

「広告をダウンロードしてる間も広告を見てる間もユーザーはお金を払っている。それを前提として広告を考えないといけない。となると、役に立つとかハッピーになるとかじゃないとユーザーから不満がでるのは当たり前だよね」

というもの。これは今のモバイルにおける強制視聴型の動画広告においては同様のことが言えるだろう。使えるパケット量が大きくなっても、あるいは定額制になったとしても、「ユーザーがなんらかのコストを払ってるにもかかわらず広告を見せてる」という意識は大事だと思う。そしてこの考え方は「情報提供側にコストがかかってるんだから広告は見てくれて当然でしょ?!」という考え方とは全く逆である。どっちの考え方を支持したほうが、結果として広告への効果が高くなるか、それは簡単にわかる話だ。

 

Google在籍時代には、検索連動型広告含むGoogleの広告プラットフォームは以下のようなものだという風に定義づけられていた(今は違うけど)。

昔のGoogleの広告プラットフォームの考え方

昔のGoogleの広告プラットフォームの考え方

当時のGoogleの広告プラットフォームは、ユーザーと広告主とパブリッシャーとの三者Win-Win-Winで取り持つためものもという考え方が敷かれており、初期の検索連動型広告の説明から「その情報が欲しいというタイミングにそれにあった広告が提供できれば、広告も役に立つものになる」というものがあり、結果として広告の効果が高くなる、としていた。

今もGoogleのサイトに残る「10 things Googleが掲げる10の事実」において、Googleの広告とは以下のようなものだった。

6. 悪事を働かなくてもお金は稼げる。

Google営利企業です。企業に検索テクノロジーを提供することと、Google のサイトやその他のウェブサイトに有料広告を掲載することで収益を得ています。世界中の数多くの広告主が AdWords で商品を宣伝し、数多くのサイト運営者が GoogleAdSense プログラムでサイトのコンテンツに関連する広告を配信しています。広告主だけでなく、すべてのユーザーの皆さんにご満足いただくため、Google では広告プログラムとその実践について次のような基本理念を掲げています。

  • 検索結果ページには、その内容と関連性のない広告の掲載は認めません。Google は、広告というものはユーザーが必要としている情報と関連性がある場合にのみ役立つと考えています。そのため、検索結果ページに広告がまったく表示されない場合もあります

  • 派手な広告でなくても効果は上げられると Google は考えています。ポップアップ広告は邪魔になってユーザーが見たいコンテンツを自由に見られないので、Google では許可していません。Google は、閲覧しているユーザーに関連性のあるテキスト広告のほうが、ランダムに掲載される広告よりずっとクリック率が高いことに着目しました。企業の規模には関係なく、あらゆる広告主がこのターゲット広告を利用できます。

  • Google が掲載する広告には、スポンサーによる広告リンク(スポンサーリンク)であることを必ず明記しているため、検索結果の完全性が損なわれません。Google が検索結果のランクに手を加えてパートナーサイトの順位を高めるようなことは絶対にありません。PageRank は、お金で買うことはできません。Google のユーザーは Google の客観性を信頼しているのであり、その信頼を損なって短期的に収益が増加しても意味がないのです。

今のGoogleの広告が 6 の AからCすべてを守っていると考えるかどうかについてはコメントしづらいところだが、このAからCにおいては、日本のネット広告の現状を考える上で今でも有効な考え方だと僕は思う(そういう観点においては日本のネット広告市場は退化してしまってるとも…)。

 

A.に関して言えば、「ユーザーの情報ニーズに当てはまる広告がなければ表示しない」ということ。現状の日本のネット広告は、「impさえあればユーザーやユーザーが見ているコンテンツとマッチしていてなくてもなにか広告を表示する」ということになっている。これが結果として「ゴミ広告」を量産することになっている(ちなみに僕が言う「ゴミ広告」とは単なる広告表現の問題ではなく、ユーザーの情報摂取タイミングにあってない広告も含めて言っている)。これについては広告プラットフォーマーが、ユーザーやコンテンツと広告のマッチングのアルゴリズムの改善を行う、thresholdを調整する、、、マッチング度合いが低いときにはその広告を出さない、、、などの対策を講じることが本来はできるはずで、それをやっていない(少なくともやっていないように見える。そりゃそうだろう、それをやると売上が減るから)。なので、パブリッシャーや広告主の問題と考えるよりも、広告プラットフォーマーが対策を講じる仕組みを開発して提供できる立場に有るにもかかわらず、それをやっていないのは残念な事態と言わざるを得ない。

B.に関して。広告の効果に関わる変数というのは、単に広告フォーマットによるものではない。適切なタイミングで適切なユーザーに対して適切なフォーマットで出せるかどうか? 例えば新聞系のサイトでポップアップの広告が出てくるとうざい。でもショッピングサイトでポップアップで自分の購買履歴に基づくディスカウントクーポンが出てくるのはOK。これは、ポップアップというフォーマットも、常に嫌がれるものではないということ。この点において、強制視聴型の動画広告やスマフォのブラウザ内に下から出てくるポップイン形式のディスプレイ広告などについての問題は、GoogleがBで指摘したところから進化してない(いやそれ以前の時代に退化)。

そして、C. に関連するところ。ここ数年、インフィード形式のネイティブ広告やスポンサードコンテンツでの広告での brand disclosure 広告主(や関連団体)表記は普及したが、リコメンドウィジェット形式のネイティブ広告については、ウィジェット全体についてその配信元やPR表記をしているものはあるものの、個別の広告表示については明確でないものが未だにある。しかも、例えば「(PR) ○○○○編集部」といったように、どこかの編集が作成したコンテンツのように見せかけて、クリックして行った先は、確かに申し訳程度なコンテンツはあるもののそこから商材に誘導した単なるランディングページであることがあったりする。これが問題なのは、実際の商材を売っている企業名や商材名の表記を回避し、いちコンテンツのような見せかけをしてクリックを誘引してランディングページにつれていくという手法なのだ。こういうチートなことを考えるのに日本のネット広告業界は長けているが、その頭をもっと本質的かつ広告を「よく」するほうに使えばいいのに。。。って思うわけだが。

C.の最後に書いてあるけれども、ユーザーはコンテンツを見るときにそのコンテンツの配信元を信頼しているの間違いない。キュレーション型のサイトやアプリでニュースを見ることが多いけれども、某コンサルティングファームが出したデジタル領域の調査などを見ると、そうしたコンテンツ摂取体験をしていて、ページ単位・コンテンツ単位でもともとの配信元メディアと接触していなくても、それぞれのメディアの信頼性というのはやはり加味している模様。となると、やはり広告においても、メディアブランドとの関係性はもっと考慮されてしかるべきだと思う。

 

 

さて、、、、、今回登場いただいたF澤さんには本当に感謝したい。

 

今回書いているのはずっとブログに書こうとおもってし、色んな人にも「書く書く」といってたものの先延ばしにしてきたものだ。でもF澤さんが絡んでくれたおかげで、改めて問題の根深さを認識し、問題の提起ができることができたと思う。改めて感謝。

 

ところで、、、日本の広告単価はなぜ上がらないか、、、という質問はよく受けるんですがそのいくつかある理由の一つは、ここに挙げ、書いたような、業界関係者に自覚がない問題が偏在していること。ここは本当に根深いよね。