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メディアと広告とマーケティングと。

「風を読む」「空気を変える」と「空気をつくる」の違い

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 この文章の中で中川淳一郎が、「風を読む」って言葉を使っているけれども、膝ポンしちゃましたよ。

 ”戦略PR”と言われる世界ではよく「空気をつくる」って言葉が使われるけれども、そもそも大量にメッセージを投下できる広告ですら「空気をつくる」なんて難しいし、よりお客さんに近いところでメッセージを届けることができるダイレクトメールでもそんなものを作るのは難しい・・・・・ということは、それらをやってると泣けるほど実感できる。そしてそうした手段の無力さをよくわかる人ほど、うまくやりとげる。

 一方でPR業界の人々はなぜか、広報的活動のチカラを過信してる(ように見える)。特に、「ウェーイ」な感じのネット界隈の広報パーソンたちや、一部の”戦略PR”屋さんなんてそんな感じ。前者はソーシャルメディアでバズることを「空気をつくる」って思ってるぽかったり、後者は未だに制作会社や媒体になんらかの対価を支払いつつメディア露出を謀ることを「空気をつくる」とか言ってたりする。とりあえず、リップマンやら白本七平を読みやがれ。

 さて、中川淳一郎とは、博報堂で入社1年違いで当時部署が隣あっていた関係である。で、彼がこの文章に書いている、彼がいた”CC局”というのにもちょくちょく出入りさせていただいていた。

 ※余談1)当時自分が入社したのは博報堂で最も古い「出版営業局」という、出版社を広告主として対応する営業部署であり、媒体社の「出し広(広告を出すほう)」を担当していた(一方で媒体社に広告を入れる(出稿する)のは「入れ広」と言う)。そして、同じ建物の中に企業の広報活動を支援する「CC局」があり、そしてのちに伝説的かつすでに忘れ去られた部署である「インタラクティブ局」の前進となる「博報堂電脳体」があった。今思えば、媒体社のアービトラージ型のビジネスの理解、PR領域、そしてデジタル/インタラクティブ領域への理解については、そうした入社時の環境が大きく影響してるように思う。ありがたや。

 ※余談2)”戦略PR”業界では、「情報クリエイティブ」やら「情報なんちゃら」という言葉がよく出てくるが、そのオリジナルは、90年代後半の博報堂CC局で開発された「情報戦略」であることは一部の人に知られている。そして当時そのCC局と仕事をしていた某氏が、のちに独立をしてそれをパクった、というか劣化コピーさせたというのが「情報クリエイティブ」だ、という話も一部ではよーく知られており、失笑を買っていた。

 ※余談3)当時のCC局の「情報戦略」の考え方が、のちに「コンテクストプラニング」の一部分に影響を与えていることは確かである。

 さて、当時のCC局のやっていた仕事はまさに「風を読む」ということだったように思う。広告会社の中にある部署だから、広告の無力さもPRの無力さも、またその一方で、それらがチカラを発揮するときの価値も相対的に理解している人々が集まっていたのだろう。何か一つのものだけをやってると、それがすべてのように考えがちだが、実はなんでもかんでも相対的な価値しか存在しないわけで、だからこそ総合的な理解が必要だと思う。

 また、中川を通じて飲み仲間(といってもそんなにいってないけど)に入れてもらった鹿毛さんの勤めていたエステーは、「空気を変えよう」がスローガンだ。これも与件として「空気」が事前に存在する。だから「変えよう」なわけで。

 自分自身が大学院までいって社会学をやったせいか、「空気をつくる」といったような言葉が出てくると、過剰に「うさんくさっ!」と思ってしまう癖がある。だって、社会学とか社会心理学とかやると、人間社会の複雑性や情報伝搬や流行やらのメカニズムを理解することになるから、そうそう簡単に「空気をつくる」とか「世論をつくる」とか言えなくなってしまう。その困難さを理解できるから。

 一方で、すでに存在する潮流から次にくる「風を読む」とか、今ある「空気」から「空気を変えよう」というのは、至極まっとうで、かつ、「それなら努力したらできるんじゃないか」と思わせるし、しかも事前にすでに存在する(受け入れられている)潮流や空気があるから、その流れの中で、次の「風」や「空気」も受け入れられるように思う(まさにコンテクスト)。

 よく聞く「"戦略PR”の失敗」や「”戦略PR”なんてうまくいかない」話というのは、そうした世の中にすでにある”与件”を理解・分析しないままに、新しい「空気をつくる」という話なりがちだからだろう。もちろん、日本国内で「空気をつくる」といった言葉を最初に拡めた人々は、そういう意図はなかったかもしれないのだけれど。しかし実際問題として、企業にもちこまれる”戦略PR"というのは、「空気(風)を読んでない」ものしか見当たらない。

 僕自身は、『次世代コミュニケーションプランニング』の中の、「コンテクストプラニング」の章でも書いたけれども、「コンテクストを分析する」と「コンテクストを作る」の両輪が必要だと考える。

 あ、「コンテクスト」と「空気」「風」のニュアンスの違いを説明しておくと、「コンテクスト」という言葉を僕が好むのは、それは例えば企業とそのターゲットである人々の間で「共有されるもの」を指したいから。中川の「風」、鹿毛さんの「空気」においても同じような思いが含まれているとは思いますが、僕の場合はより「共有されるもの」というニュアンスを強めたいのでこれを使っている。

 「風を読む」というのは、まさに次のコンテクストの変化を読む、ということだと思う。そして確かにその仕事こそ、広報的視点においてもマーケティングやコミュニケーションの視点においても重要だよな、と改めて思いましたね。