mediologic

メディアと広告とマーケティング、そしてサービスデザイン。

なんでわざわざ「日本語」にしたがるのか。訳すことと理解することは違うと思うんだがな。

日本でわかりにくい、というか訳しにくいマーケティング・広告業界用語、例えば engagement とか addressable とかもしかすると interactive なんかもそうかもしれないけど、そういう言葉に出会った時に、それらの言葉を英語表記、ないしはカタカナ表記のまま理解しようとする態度と、それらの言葉を“わざわざ”日本語に置き換えようとする態度と2つの態度があると思う。

英語ですでに成立している業界用語を、「難しいから日本語に平易に訳して」って言う人をたまに見かけるわけですよ。業界外ならいざしらず、業界内の人間で、そういうこと言ってしまう人って、きっと本気で理解しようと思ってないと思うんですよね。そもそも、新しい言葉だったり、ないしは日本語で対応する言葉がない場合、なぜわざわざ「日本語」に置き換えようとするのかまったく意味不明。ムダ。しかも日本語にしてしまったほうが難しい漢字の組み合わせや造語になったりして、ますますわけがわからなくなったり。余計に混乱を招くんじゃないかと。

 

英語はそのまま、ないしはカタカナのままで理解すればいいわけで。日本語であってもわからない言葉があれば、それは国語辞典を引いて調べるわけでしょ。で、知らなかった言葉の意味を理解する。そのプロセスって、英語だからとか日本語だからという問題ではなくって、どこの言語であれ、新しい言葉に出会ったときに、「訳す」んじゃなくって「意味」や「定義」を知ろうとする態度があるかないかだと思うわけ。

むしろ、変に日本語に「訳し」て、分ったような顔してるほうが、怪しいと思うんだよね。

はっきり言って、「日本語にして」なんて言ってる人は、自分で言葉の意味を調べるという辞書を引くというような習慣がないんじゃないかな。