人によっては、「人から話を聞くよりも、本を読むことに時間をとったほうがいい」ということもあるだろう。
しかしながら、”読書”という行為は非常に危険な行為なのである。
一冊の本には万単位の活字が綴られているわけだが、それぞれの「字」は「言葉」を構成している。
「言葉」は「意味」や、集まって「文脈」をつむぎ、そして一冊の本を構成する。
しかし、本に対して向き合っている読み手は、その中から読書しているその時に応じた部分を実際には抜き出して読んでいる。
言い換えれば、”読書”という行為は一見、その書き手から教えを請うている行為であり、謙虚な行為のように思えるが、実際のところは自分の解釈したいように読んでしまうという、非常に自分勝手でワガママな行為でもあるのだ。
つまり、「”読書”することでなんでも学べる」というのは非常に自意識過剰な行為なのであり、手にする本を選ぶのも、その本に綴られた活字から学ぶことを決めているのも自分なのだ、ということに自覚的でないと、本当の意味で、「”読書”することで学べる」ということにはならないのだ。
言い換えれば、自分を知る人こそ、本を読むのがうまい、ということでもあるということだろう。
以下、本を読むということを考えるための三冊。
本を読む本 (講談社学術文庫)
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