相変わらずこの辺りの議論は業界関係者で熱いです。
そう、Netflix vs. テレビ(民放)の議論。
この話って、対立構造でみんな描きたがるんだなぁ。しかも大体がテレビ(民放)側の話って、首都圏の話が無意識に前提になってるし。
新しいメディアが出てきたときの傾向として、既存メディアとの対立構造で描くというのが多いですよね。 携帯電話のせいでCDの売上落ちたとか、ネットのせいで新聞購読が減ったとか。 ※どちらもダウントレンドが始まったのはそれぞれの普及以前です。加速したとは言えるかもしれないけど。
知り合いの、ケーブルTVや衛星放送業界に詳しい江口靖二さんあたりは、むしろNetflixの件は、地上波よりもケーブルのほうの脅威だと考えてるんじゃないかな? 最近話をする機会がないので、このあたりどうなのかお話を伺ってみたい。
※と書いていたらやはりご本人が文章を書いていたのでご紹介しておきます。
【コラム】Netflix参入を画面の陣取り合戦だけと見てはいけない データマイニングがもたらす新たなコンテンツビジネス
それと、地方局への影響、レンタルビデオへの影響など。
単純にテレビ(地上波)との対立の話ではないと思うんだよね、ほんと。
何度も言うけど、新しいメディアが出てきた時には何かのメディアが消えるというのは単純な見方過ぎる。変わるのは、X vs.Y 的な対立構造ではなく、メディア”環境”がどのように変化するか。
それは単純に技術決定論的な話ではなく、ソシオ・メディア論的な展開と経済的・事業開発的・マーケティング的な視点が必要であると思う。
とりわけ、社会とメディアとの関係という点で考えると、起きるのは「メディアの再布置」というものであって、単純にメディア間のヘゲモニー争いではない。
と、頭のなかで巡っていると、昔どこがで喋ったツイートを拾った。
高広「メディアのRe-configuration=再布置という考え方が重要。新しいメディアが出てきたら、今まであったメディアの地図が書き換わる。その過程はどこに行くのかがわかりづらいから混乱が起こる」 #acf2010
— A (@matsuzakia) 2010, 3月 20
で、「メディア 再布置」でググるとこの記事が出てきましたので、2011年に書いたこちらの記事も併せてお読みください。
注目すべきは従来メディアのリノベーション――メディアが本当に変わるのは、これから10年(アドタイ「高広伯彦の”メディアと広告”概論」
確かに二項対立で考えたほうが楽なんだよね。。。でもそれじゃあなあ。
とりわけ、このあたりの議論は、「技術」と「メディア」を切り分けて考えるほうがよいと思っていて、でもこの思考については「ソシオ・メディア論」や社会学的視座におけるメディア研究を経てないとピンと来にくいのかもしれない。
(本件に関して参照して欲しい書籍)
メディアの再布置 re-configuration という概念が出てくるのはこの本↓
以下は、メディア論、特に社会と技術の関わりから生まれる一つの様式が「メディア」であるという視点で学べる本↓
そして、テレビのこれから・行く末を考えるなら、20年ほど前に書かれたギルダーの本から以降のこれらの本も読んでおきたいところ。
読売テレビの女子アナ、脇浜紀子さんが米国の大学院でメディアビジネスを学んで以降の考えをまとめた本。 もう15年近く前のテレビへの危機感です↓
これはこの数年の本ですが、ネットとテレビの双方の話として書かれた中では早い方ではないかと。
上記の本を読むと、昨今のテレビ vs.ネット議論や、Netflix vs.テレビ議論が、以下に直近のネット話の一環に過ぎないかを感じるかもしれません、ね。
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