読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

mediologic

メディアと広告とマーケティングと。

facebookの「検索」機能は検索の文化と広告を変えるか?

ウェブ・技術 ソーシャルメディアとマーケティング 新しいメディア・WEBサービス 超まじめ

 

■米フェイスブック、ネット検索本格化 投稿情報対象  :日本経済新聞.

facebookが”ネット検索”を始めるという記事が出てきた。

”ネット検索”と日経では書いているが、オープンなインターネット全体をインデックス化するものではなく、facebookの中での友人知人の投稿を検索可能にするものである。

facebookユーザーであれば、画面上部の検索ボックスから他人の投稿を検索できるものと思い、ついついキーワードを入力してみたものの、出てくるのは人名や会社・組織名ばかりという経験をしたことがあるかもしれない。これまでのfacebookの検索ボックスはあくまでも「名称の検索」のツールであって、電話帳のインデックスみたいなものだったわけだ。それがようやく発展して”友人知人の投稿”を検索できるようになるという。

Googleにおいても、誰に対しても同じ検索結果を返すだけでなく、個人の過去の検索結果から最適化された検索結果を返すようなパーソナライズドされた検索や、友人知人が検索した結果をもとに検索結果を返すという試みがこれまでにあった。パーソナライズドサーチやソーシャライズドサーチと呼ばれたりするものだ。本質的に両者は違い、前者はユーザー自身の検索行動、後者は他人の検索行動が加味される。しかしながら、検索結果の先、つまりそれぞれのコンテンツについては、自分でも友人知人でもなく別の第三者が作ったコンテンツとなる。今回、facebookの検索機能の検索先は友人知人が創りだしたコンテンツとなるので、この点がこれまでの”検索文化”とは違うので、注目をしておきたいところ。

簡単に言ってしまえば、「あ〜、誰かが吉祥寺でうまいてっちり食わせるところがあるって投稿してたな〜」という時に、“吉祥寺”や“ふぐ”、“てっちり”あたりのキーワードでその投稿を探せるようになる(というものだと理解)。 ※注:実際なぜか吉祥寺にはふぐ料理屋が結構ある、なんで?

これまで「集合知 collective intelligence」と言われていたもの、群衆の力、つまりクラウドパワーの向かう先はWikipedia上のひとつのテーマのような場であり、anonymousな人々がオンライン上の”場”に集まり、互いの知識で貢献しあうようなものだった。しかしながら、facebookなどで日々生み出される「コンテンツ」というものは「集合知」のようにテーマごとに一つの場所に集められるものではなく、10億を超えるユーザーを抱えるプラットフォーム上で”分散”している、名のある個々人の何気ない発言だったりする。

インターネットという総体で見れば、それぞれのコンテンツはインターネット上に”分散”しており、それをインデックス化し、人々が情報に辿りやすくするという「ミッション」を持ってGoogleは進化してきた。しかしながら、インターネット上での”オープンな情報”でしかGoogleはインデックス化できない。”クローズドな情報”を10億人のユーザーが生み出しているのがfacebookであり、オープンなインターネット環境では生み出されないような情報をもその中にはあるだろう。つまり、これまでのインターネットも確かに民主主義的なプラットフォームだったと思うが、ただしそこで情報を産む、たとえそれがブログで書くことであったとしても、ちょっとした緊張感と公式感というか、少し襟を正してコンテンツを生み出しているように思う。一見、カジュアルに書いてるように見えるアメブロであっても、アメブロ的な様式というものが存在し、それに則って多くの人が書いてるのは見て取れると思う。一方で、それぞれの主義主張もあれば、ほんとに些細な日常のつぶやきまで、個人が生み出す様々な関心や思いがfacebookで生み出されるコンテンツ。

少し歴史学というものの話をここで入れておきたい。歴史、というものは文書を残すことができたそれぞれの時代の実力者側によって作られている。つまり、民衆の“声”というものは歴史の中に記述されない。このことへの批判は歴史学の中で起こったことがあり、歴史学そのものが権力者側の道具に過ぎなかったということは今ではよく知られていることである。その批判から歴史学の世界でも、フランスのアナール学派、イタリアのミクロ歴史学といった学派が生まれ、民衆の声を拾った歴史学を展開しようとしてきた。

facebookの検索機能というのは、こうした視点ともなんとなく被る。

これまでのGoogleの検索というのは、それぞれの情報間をページランクによって”民主主義的”にインデックス化/ランキングをしてきた。つまり”情報”が中心なのであって、”個人”が中心ではない。Googleにおいては、良き情報というのは多数の優良サイトから被リンクを受けているものというのがベースとなっており、それが現在の同社の検索結果の状況を良い面も悪い面も、どちらにおいても表している。しかしながらfacebookの場合は、おそらくは検索できる範囲は友人知人関係に限られるようなことになるだろうから、“人”が中心となる。これは、歴史学がその発展とともに“民衆の声”を見出したのと同じように、検索という技術・文化がそれらを見出すことになるのではないだろうか?

友人知人の言ってたことが検索できる、というユーザーにとってはそれだけの事実であり、先々利便性が高まるかもしれない。しかしながら、大きな変化を生み出すキッカケになるのではないか?そんな気がする。

例えば、もっとも大きな変化として考えられること。概してソーシャルメディアにおけるコンテンツは、”ストリーム”と言われることもあるように、とどまることなく流れていく感じがする。しかしながら”検索可能”となった瞬間にそれらのコンテンツは”アーカイブ”として存在することがわかるようになる。「フロー」から「ストック」へ。ソーシャルメディア上での情報の在り方がきっと変わる。

"The Search"を書いたJohn Battelleは、それまでの"database"というのもは"information"の"database"だったのが、Googleにおいては"database of intentions"、つまり人々の”興味関心 intentions”のdatabaseだと指摘した。果たしてfacebook内にストックされた情報と検索機能は何の"database"になるのだろう?(database of interactions? database of individual intelligence?.......)

もちろんfacebookにとっては、これらにAdWords/Adsenseのような仕組みを持ち込めば、膨大なユーザー数、トラフィックに比して伸び悩むマネタイズに貢献することは可能だろう。ただし普通に検索連動型広告をやってしまうと、パテントに引っかかってしまうので、これまでの検索連動型広告とは違う形式のものを生み出し、出してくる可能性がある。ここは検索連動型広告ないしはもっと新しい広告を生み出す可能性も大いにある。今のfacebook、特に米国ではexGooglersが上層部を中心に活躍していることはよく知られている。COOのシェリル・サンドバーグは、AdWordsのオンラインセールスのトップだったし、その直下の部下であるデヴィッド・フィッシャーもAdWordsの米国セールスの重職だった。そしてAdSenseの生みの親であるゴクル・ラジャラムがfacebookの広告プロダクトのトップにいる。Googleのことをよく知る彼らが、Googleと全く同じような検索のサービス、広告のサービスを出すはずはない。Googleの初期広告プロダクトのよいところ(=user initiativeな点など)を重視するのは、ザッカーバーグがfacebookのユーザーをまず重視することとも親和性が高いし、彼らは何をやるとビジネスリスクとなるかを理解しているし、一方で広告主側の期待をGoogleの中でも最も理解している人々の一部だったので。

さて、2013年のfacebook、果たしてどのように動くのか?

もちろん今回の発表はとっかかりに過ぎないだろうが、この流れは必然的なものだと思う。それゆえに、新しい検索文化のスタートとして、exGooglersたちの新たなチャレンジとして、などなど、いろんな視点から楽しみにしている。

関連書籍: David Gauntlettの著作『Making is Connecting』 John Battelleの『ザ・サーチ』

関連サイト: Facebook広告部門のトップに独占インタビュー (SEO Japan)