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メディアと広告とマーケティング、そしてサービスデザイン。

朝のニュースが広告主に忖度?〜『モーニングショー』で起きた偶然?から考えるメディアリテラシー

 Twitterなどで以下の記事が話題のようで。

 

news.nifty.com

 

まとめると、

  • テレビ朝日の『モーニングショー』でHuaweiを絶賛する内容だった。
  • 直後のHuaweiのCMが流れた。
  • だから『モーニングショー』の内容は広告主であるHuaweiに忖度した内容なんだ。
  • 『モーニングショー』は常に中国寄りだしね!

ということになっているらしい。

 この話題はいわゆるメディアリテラシー教育的な部分も含むので興味深い。

 まず、“テレビCMと番組は連動できるか?”という話から。これができるのであれば(=倫理的な問題はさておき技術的にできるかできないかという話であれば)広告主であるHuaweiに忖度した内容は可能かもしれない。しかし放送の現場からするとそれはまず難しいように思う。

 テレビの番組やCMというのは「営業放送システム Electronic Data Processing System: EDPS」というもので配信スケジュールが非常に細かく秒単位で管理されており、また番組やCMの送出に関しては、「自動番組送出装置・番組自動送出システム Automatic Program control System: APS 」という仕組みが関わっていたり、その他多数のソフトウェアの組み合わせによって、今日の放送という仕組みは成り立っている。

 どのようなCMがどの時間に流れるかというのは、特定の番組に「提供」として特定に広告主がついている場合(=タイムCM)には、”だいたいの”放映時間はわかるものの広告主ですら何時何分何秒に流れるかというのはわからず、また「提供」ではなく、「この時期にこのぐらいの量のCMを流したい」というオーダーによって流されるCMである「スポットCM」の場合はますます放映時間などは局の中の人間ですらまぁわからない。実際の制作・報道の現場で、「このあとに○○○社のCMが流れますから、コメントは控えめにお願いします」なんていうことは正直無理だし、EDPSなどで管理されているので、良いコメントが出たあとにその企業のCMを流すというのも仕組み的にできない(=スケジュールがガチガチに管理されてしまっている)のである。余談になるが、番組内容に連動した(AdSenseのような)TVCMが難しいのもこうしたレガシィな仕組みによる(※GoogleAdWords for TVを実現できなかった理由)。

 Huaweiは11月30日から新商品である『Mate 20 pro』を市場投入したところなので、テレビ朝日だけではなく、他局でも、またネット上でも非常に広告投下量は多くなっており、たまたまそのCM放映タイミングと、CFO逮捕から関連してのHuaweiのネタが『モーニングショー』でとりあげられたタイミングが重なっただけだと考えたほうが無難な理解。

 

 Huaweiに関して言えば、スマートフォンのシェアでは世界第二位(時期によっては一位)の企業であり、従業員の給与は高く、通信機器の世界ではスマートフォン本体以外にも基地局他でのハードでもシェアを伸ばしている企業なのだから、ここしばらくの報道(CFOの逮捕やバックドア疑惑etc)を除けば「超」がつく優良企業。そしてその“驚異”的なシェアの背景には高い技術力とコスパがあるわけで、まずは企業として「絶賛」されて当たり前でなのだ。しかしその“驚異”が一方で“脅威”になっているというのが最近の傾向ではある。中国側に情報を吸い上げられるのではないか?とかね(でもこうした話は以前はGoogleでもあったな〜「Googleの検索結果から個人の趣味嗜好の情報が集約されて同社の手に渡るんじゃないか」とか)。Googleの話はさておいても、実際、Huaweiのような企業がシェアを伸ばすことは確かに”脅威”になりうるだろう。しかしそうした従来の地政学的な“脅威”と、“『モーニングショー』での内容がHuaweiという広告主に忖度した”かどうかというのは全くもって次元の違いすぎる話だ。ただ、この次元の違いすぎる話ということが、すなわち「陰謀論」的な話につながりやすい。

 これは「陰謀論」全般に言える話なのだが、「陰謀論」の共通点としては、

  • 因果関係を単純に説明しすぎる。
  • 論理の飛躍がある。
  • 裏付けが曖昧。
  • 複雑な要因・説明に目をつぶる。
  • 結果から逆算して説明される。
  • 「確証バイアス」がある。
  • 説明が憶測の域を出ない。 

などがある。これに加えて、意識してようが無意識であろうがあるいはプラットフォームのアルゴリズムの結果だろうが、ネットにおいてはしばしば同質性の高いグループの中、すなわち「エコーチェンバー」空間の中で、「そうだ!そうだ!」と声が大きく高まるように聞こえ、「自分の意見は他の人の意見と同じく正しいのだ」という、根拠なき確信を得てしまうようになってしまう(ちなみにネットの中での多くの“炎上”のメカニズムもほぼ同様)。以下参考。

 

wired.jp

www.buzzfeed.com

 

 上記のようなメカニズムになっているので、たとえ仮に「正しい情報」が提供されていたとしても、そこで説明されている内容を自分に都合のいい話の筋道をもとに再構成するようになるため、こうしたエコーチェンバーな状況に入っていたり、確証バイアスの影響を受けていたりすると、「妥当な判断」ができなくなってしまうのだ。

 一方で「正しい情報」というのがあるのか?というとこれもまた難しい問題であり、「正しさとは何か?」という問題にぶちあたる。もともと新聞も雑誌もテレビも限られた紙面や時間という枠の中で“切り取った情報”を提示しているのであって、そもそもそのメディアで我々が目にする情報というのは、ある事象・事件全体の「切り取られた一点」に過ぎない。それは曲線の中のある点=微分されたもの(=曲線のある箇所における点)と同じであって、曲線全体を表すものではない(=曲線上のどの箇所でも点をとることができる)。

 あるメディアはAという観点である事象・事件を語り、別のメディアはBという観点で同一の事象・事件を語る・・・しかし扱っている事件・事象はどちらも同じである、、、と考えると、報道されるもの=曲線、観点=曲線上の点なのであり、それぞれの点がどのような角度を持つのか?ということが表現されたのがそれぞれの報道内容なのだ(また微分積分を学校で学んだ人であれば、積分というのがある曲線のある範囲における積であり、それは自分が見ているスコープの範囲内だと考えてみればいいかもしれない)。

 ここで重要なのが「メディア・リテラシー」というもの。自分が摂取した情報に対して批判的な目でその真偽や中身を理解・判断できる能力である。例えば、『モーニングショー』でHuaweiが「絶賛」され、その直後にCMが流れた、というここまでは“事実”という情報である。しかしながら、これだけではテレビ朝日が広告主であるHuaweiに対して配慮したとは言えない

  1. なぜHuaweiが絶賛されたのか?
  2. 直後にCMが流れたのは意図的か?偶然か?

という二点を、Huaweiが絶賛されたのは広告主HuaweiのCMが直後に流れることがわかっていたからである」というのは憶測であり、そう結論付ける根拠は非常に少ない。むしろ、『モーニングショー』でHuaweiが「絶賛」され、その直後にCMが流れたという”事象”を1.2.に要素を分解してそれぞれが起きる背景を調べ、理解したうえで判断する必要があるだろう。

 さて、上にHuaweiが絶賛されたのは広告主HuaweiのCMが直後に流れることがわかっていたからである」ということには根拠が非常に少ないと書いたが、Twitterなどでは、「テレビ朝日だからな・・・」とか「朝日系列は左寄り・中国寄りだからな・・・」ということを根拠としている人が結構見受けられた。一方で、テレビ朝日については以下のようなコメントがネット上であがっている。

 

羽鳥慎一モーニングショー(テレビ朝日)の偏向報道に対しスポンサーのハウス食品に意見を申し入れた! スーパーチクリ虫

 羽鳥慎一モーニングショー(テレビ朝日)という番組では定期的に中国のネガティブな動画を紹介しています。
例えば、中国人観光客のマナーの悪さだけをことさら強調する動画、中国の高速道路を逆走する車の動画などなど。
視聴者に対し中国に嫌悪感を抱かせる動画をわざわざ探して、それを定期的に報道しています。

 日本人でもマナーの悪い人はいるし、犯罪を犯す人もいる。公共電波を使って定期的に報道しなければならない話題なのでしょうか。中国に嫌悪感を抱かせるという明確な意図を感じます。

 

 面白いことに今回のこととは逆に「『モーニングショー』は中国に批判的な報道ばかりしている」という意見の人もいて、人は見たいものしか見ない、自分の意見と同じ意見を持つ人の意見を聞く、などのバイアスによって判断しているに過ぎないことがわかる。

 今回の件は「メディア・リテラシー」や情報に対しての確証バイアスについて考える面白い教材なのではないかと思った。それぞれがどのような意見を持つかは一向にかまわないと思う。人によって主義や信条も違うし、ある情報に対して理解する背景も違う。しかしながら、自分の考えていること・モノの見方が果たして正しい道筋で適当な情報を経た結果の妥当な判断なのか?ということを考える姿勢は、それぞれが持つ意見が違ったとしても共通のものだと思うのだ。

 あとこれは蛇足だが、今回上記にあげたリンクは「ニフティ・ニュース」という大手のサイトに掲載された記事へのリンクとなっている。しかしながらもともとこの記事は「リアルライブ」というサイトからの転載(記事提供)である。この「リアルライブ」というサイトは、プライバシーポリシー/プレスリリース窓口/ライター・編集者募集/お問い合わせのどのリンクを見ても運営企業名は書いておらず、またコピーライトもサイト名であって企業名になっておらず、いわば書き手の信頼性が担保されていないサイトとなっている(注・実際はその昔あった『内外タイムス』というタブロイド紙のウェブ版がもとであったサイト)。

 しかし、書き手の信頼性が担保されていないサイトに掲載されていた真偽のほどが怪しい記事・憶測や妄想やPV稼ぎの記事であったとしても、多くの人が知っている名の通ったサイトに掲載されてしまうと、「これは正しい記事である」かのように思ってしまう危険性がある。いわば、あるメディアに対するブランド価値や信頼性(=メディアブランドメディアエンゲージメント)が誤って使われてしまう可能性も示唆しているように思う。これは、アグリゲーション型のニュースアプリやサイトが増えてきている中で、「編集」という機能がない、アルゴリズムによって情報が提供される仕組みにおいて、読み手が適切に「書き手(情報の発信者)が誰なのか?」をより明確にし、摂取される情報についての判断をしやすいようにしておかないといけないということなのだと思う。