多少、誤解を恐れず過激とも思えるタイトル付けをしたので、「記事広告」を売られている媒体社の方々にお怒りを買うかもしれないけれども、そういう方々にも敢えて一度最後まで読んでいただきたいと思う。
昨日、谷口マサト、ヨッピーという広告絡みのバズるコンテンツ制作二強と話をしててふと気づいたのは、「記事広告」という概念をネット広告の世界から無くしてしまったほうがいいんじゃないか?ということだ。これはいくつかの側面で、悪い慣習とメディア事業上の不幸を招いてるように思え、先々考えると良くない。
「記事(体)広告」と呼ばれるものは人によっても、媒体によってもちょっとずつ違うニュアンスになることがあるが、まとめてみると以下のようなもの。
・通常の広告と違って記事の体裁をとって商品の紹介がなされた広告。
もともと「記事(体)広告」は、新聞や雑誌などでごくごく普通に実施されてきた広告の一形態であり、通常の編集記事との違いを明確にするために「広告」や「PR」という言葉が枠外に明確に記入されていた(ネットにおいてもこのような”ディスクロージャー”については進んできているのは、非常に健全になってきていると思う)。
制作については、媒体社側が準備した記事(体)広告の制作チームが作ることもあれば、記事風の広告を制作して代理店が納品することもある。ただ、日本では前者のほうが多いように思うけれども。
一方で、ややこしいのは、「記事(体)広告」と言ったときにそれが、制作物としての「記事(体)広告」を指すのか、広告枠としてのそれを指すのか、それともその両方なのかが、混乱しやすいことにある。特に「広告枠」との関連で考えると、雑誌新聞における「記事(体)広告」とネットの場合とでは大きな違いがある。ここが大きな課題だ。
さて、ここで理解しておかないといけないのは、雑誌や新聞の場合には「記事(体)広告」は、通常の広告と同じく「掲載枠(面)」が存在しているということ。これの意味するところは、「広告主はあらかじめ露出する機会(=枠)を購入している」のであり、その「枠」に対して「記事の掲載を取った広告制作物」を露出しているということである。
一方、ネットの場合はどうか?
ペラペラと紙面(誌面)をめくったところに広告枠が存在し、他の広告と同様に広告が見られる機会がある新聞や雑誌は、「露出機会(=広告枠)」を部数に応じて広告主に購入してもらえる。しかしながらネットの場合は、それぞれのコンテンツにわざわざ来てもらうことをしないと読んでもらうことができず、ある種のハンデを背負っていると思う。これはすなわち、「広告枠」として、(新聞や雑誌と同じような)「露出機会」を保証することが難しいということでもある。
昨日の飲み会でも、「(ネットの)記事広告を露出保証で売ることの難しさ」が話題となったのだが、この「難しさ」は、同じ「記事(体)広告」を売るにしても、新聞や雑誌とネットの場合では本質的な違いが生じているにも関わらず、新聞や雑誌のそれと同じような売り方がなされていることに起因しているように思う。
この「(ネットの)記事広告」を露出保証で販売するにあたり、その数値に到達させるためにその制作者が媒体社は次のような努力をしている。例えば、制作者であればそのコンテンツをバズらせ数多くの人に読んでもらうことであり、媒体社側であればマニュアルで「おすすめ記事」として露出したり、リコメンデーションの仕組みを用いることで、当該コンテンツ(記事広告)へのトラフィックを増やすことである。ただこれらはいわば”オーガニック”でコントローラブルでない部分も多く、結果として、保証した露出に到達するために更なる(涙ぐましい)努力を、制作者や媒体社に強いることになる。
ここで、米国の媒体社で見られるネイティブ広告のとある販売モデルの話をしておきたい。
例えばある媒体社で通常のいわゆる広告枠としての「ネイティブ広告枠」を、CPM10ドルで売っていたとする。もし広告主が自分たちでコンテンツを制作し自分たちのサイトなどで公開していれば(=ブランドコンテンツ)、その「ネイティブ広告枠」を購入し、自分たちのコンテンツへのトラフィックを手に入れればいい。しかし広告主がコンテンツを持っていない場合は、媒体側にコンテンツの制作を依頼する(=スポンサードコンテンツ)。ただ、この場合でも [ CPM+コンテンツ制作費 ] といった価格付けをせず、CPM金額を高くして販売している。例えば、ネイティブ広告枠のみだと CPM10ドルのところを、スポンサードコンテンツの制作込みだとCPM30ドルにするといった具合だ。そして購入するimp数が多くなればなるほど、スポンサードコンテンツの制作本数が増える仕組みになっている。
※以下で説明する「広告枠」とは広告としての「ネイティブ広告枠」のことであり、「記事広告」のことを指していないので注意。
例:
広告主がブランドコンテンツを持っている場合=広告枠の購入だけ
広告枠のみ=CPM10ドル
例えば500万imp分の広告露出をCPM10ドルで購入=5万ドル
広告主がブランドコンテンツを持っていない場合=広告枠+コンテンツ制作を購入
スポンサードコンテンツ制作込みのCPM=30ドルで500万impごとにコンテンツを1本制作という契約
例えば500万imp分とコンテンツ1本でCPM 30ドル=15万ドル
例えば1000万imp分でコンテンツ2本でCPM 30ドル=30万ドル
という感じである。
つまり広告主が購入するのは、「ブランドコンテンツ」においても「スポンサードコンテンツ」においても、”コンテンツへのトラフィックを生み出すためのネイティブ広告枠”なのであって、「コンテンツそのものの露出数」ではない、というところに注目して欲しいと思う。そのうえで(自社でのコンテンツがない場合は)広告主は「スポンサードコンテンツ」の制作依頼を媒体側に行うと、媒体とその読者とのエンゲージメントを活かした広告効果を期待できる。
このように、「トラフィックを生み出す広告枠」は従来のディスプレイ広告と同様に、コントローラブルでかつ予約できる形での露出保証が可能なのであり、かつ「スポンサードコンテンツ」を活用することで媒体側の価値を広告主に売ることができる。
上記は一つのネイティブ広告やスポンサードコンテンツの販売形式にすぎないが、しかしながら、媒体社と広告主、また、それに加えて制作者とユーザーにとっても「フェア」なビジネスモデルではないだろうか?
このような販売モデルがあることを知ってしまうと、現状の「露出保証型の記事広告」というモデルは、いささか媒体側に不利な仕組みになっているような気がしてしまうし、また、媒体の価値を最大化しにくいように思う。
雑誌や新聞のような“コンテンツとコンテンツの間に挟まって”読者に見られやすい広告枠ではないので、”露出保証”の難しさがあるネット広告の世界。露出のコントロールが難しいオーガニックなチカラに頼るのにもかかわらず、“露出保証で”約束してしまう現状のネット広告の「記事広告」の販売の仕方よりも、確実に枠の確保=露出の保証ができるネイティブ広告枠とスポンサードコンテンツの組み合わせでの販売モデルのほうが、サステイナブルな広告事業モデルではないかと思う。
また、この販売モデルの場合には、広告主側も「読まれる人數」がある程度予測可能であって、バズや不確実な露出に頼るモデルよりかは広告計画が立てやすいはずだ。
一方で、優秀な制作者によって生み出される「バズった結果の露出」については、ボーナスとして受け止めればいいのではないかと思う。
もちろん、各媒体の事情やその他の考え方もあると思う。けれども、一つの広告販売のモデルとして、気に留めてもらえるとありがたい。