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メディアと広告とマーケティング、そしてサービスデザイン。

「面」か「人」か。メディアの価値ってどう考える?

次の記事を読んだ。

web-tan.forum.impressrd.jp

 

一通り読むと「メディアの価値」とタイトルにはあるけれども、実際のところは、DMPをベースに、一昔前の動的なメールマーケティングに近いやり方である、という印象の記事。

ただし、タイトルにあるような“メディアの価値は「面」から「人」へ”というのは、他にも“「枠」から「人」へ”、という言い方をされることもあるが、オーディエンス・ターゲティングやDMPによるある種の「弊害」でもあるように思う。特にオンラインマーケティングにおけるその「弊害」とは、「メディアの価値」というものを、マーケティング・広告の、しかも購買に近しい「相手」を対象にしたものとして、「人」に置き過ぎるきらいがあるように思うからだ。

ここで語られている“メディアの価値”というのは、『Web担』上の記事だから、文脈上「マーケティング上の」という言葉が"メディアの価値”という言葉の前に入っている。しかし、本来的には“メディアの価値”というのは、例えば社会学や往年のマスコミ研究でよく語られたような「議題設定 agenda setting」の機能にあったり、ないしは一般的にメディアというのは継続性を持って運営されるものだから、そこで紹介される情報・語られるコンテンツによってコミュニティを形成する機能にあったりするように思う。そしてそれらが掲載されるのはまさしく「面」上。

 

つまり、メディアの価値を語るにあたって「面」か「人」か、というのはちゃんちゃらおかしいのであって、メディアというのは、

「面」に掲載されるコンテンツによって「人」を集めること

にこそ、その本質的な価値があるのではないかと思う。どちらかではない。

メディアが「media」である所以は、いわばマーケターと「人」をmediateする役割を追うのであり、そのメディアの中で多数の「面」の存在がそれを具体化させている。

そしてそこに集まった「人」は、マーケターにとっては「(メディアがもたらす)マーケティング上の価値」なのであって、メディア運営者からすれば「マネタイズ上の価値」である。とはいえ、やはり「面」か「人」かの二元論で「メディアの価値」を言ってしまうのは乱暴だろう。

一方で、「人」よりもメディアにとって「面」の価値が重要であるように思えるのは、やはり、それが「人」を集めるための装置として機能しているからであって、かつその面に載せられたコンテンツによって「人」の興味関心・理解を進めるという態度変容・perception changeを起こすことができるところにある。

オンラインのメディアは、従来のメディアに比べて「リーチ」は弱く、一方で購買プロセスの中の購買に近いところにいる人々を捉えやすいとしてきたが、実際はその業界の人々にとっては「態度変容を促す」というマーケティングの経験値が乏しかったがゆえに、結果として「セリング」に近しい、あるいは「セールスプロモーション」に近い領域を「オンラインマーケティングの優位点」としてきたに過ぎないように思うのだ。

もちろん、メディアの在り方が今までの在り方と違うものになってきているのもあり、メディアの価値が従来と同じものであるとは限らない。たとえばソーシャルメディアで興味のあるコンテンツだけがユーザーに共有されているような状態は、メディアが「議題設定」をしているのでは、ユーザーとコンテンツによって「議題設定」されている、と考えることもできるので。だからこそ、単に「面」か「人」かの二元論ではなく、「コンテンツ」や新たなコンテンツ流通経路も含めた多元的な視点、ないし「人」自身もマーケティングの対象者としてだけでなく、メディア(やコンテンツ)の享受者としての「人」の様態について考える必要があるだろうと思う。

 

 

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