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「2歳児に飴玉をあげるな!」とコミュニケーションプラニング

 山口で二歳児が行方不明になり、警察や消防etcが捜索していたものの発見できなかったところ、大分から出てきた78歳のスーパーボランティアおじいちゃんがあっという間に救助したという出来事。

 

abematimes.com

 

 発見→歓喜、というところから一巡して、このスーパーボランティアおじいちゃんが発見時に飴玉を挙げたことについて、「2歳の子どもに飴玉をあげるなんて!」という批判が出ているらしい。

 

 自分も少しながら山をやる人間として、この尾畠春夫さんなるスーパーボランティアおじいちゃんの背負っている「装備」を見て、只者じゃないと映像から感じた。使いこなされたザイル、ザック、反射ベストetc...ザックの中身はわからないものの、「ああ、この人は相当山に入ってるな」とわかる人物。そんな人物であれば、おそらく山に「行動食·非常食」として真っ先に忍ばせるのは「飴」のように思う。

 

 ボーイスカウトや子ども会、林間学習などで行動食·非常食として「飴」を持たされたことがある人も多いと思う。また、空腹時間が長いと胃腸が固形物を受け付けなくなる可能性も高く、おにぎりやパンを摂取できないこともある中で、「飴」はいざというときに「シャリバテ(ハンガーノック)」を起こして動けなくなるリスクを下げるもの、というのは山をやっているものには半ば常識だろう。

 

 一方で、「2歳児に飴玉をあげるのは危険」というのは「ママ界」での常識だと思う。ある人によれば4~5歳以降でないと飴玉のリスクは高いらしい。

 

 今回の“批判”というのは、一部のママたちから見れば、「子どもが見つかった」ということ以上に「2歳児に飴玉をあげた」という事実のほうが自分たちの生活との距離が近いテーマなのでそこに反応しているように思う。また、普段から病気や事故に向き合ってる小児科医の先生にとっても同様だろう。

 

 こうした「2歳児に飴玉をあげるな」という“批判”に対して、「神経質すぎ!」とか「まずは子どもが救助されたのを喜べ!」という“批判”も存在し、特にTwitter上ではいまだにやりとりが続いている。

 

 しかし、、、

 

 どっちも正しいんじゃないか?

 

 救助されたということも、

 2歳児に飴玉をあげるなということも。

 

 いや、どっちも正しい。

 

となるとこれは、Twitter上でよくある、次元の違う噛み合わない議論、互いの文脈の違いによる意見の相違、ってことでしょう。

 

もう少し平たく言えば「コミュニケーション」の難しさというか。

 

「コミュニケーション」というのは、comという言葉が入ってるように、互いが同じ境遇·文脈·意味解釈を共有しているとスムーズに行われる。しかしそれが違っていればちょっとした違いが大きな違いに感じられ、とりわけTwitterのような短文だとこちらの意図と相手の解釈の相違が大きくなりやすい。

 

 さて、こうしたある種、次元の違いや文脈の違いがある2つの意見をどうまとめればいいか、、、というと、これは両者の意見を「対立するもの」と考えるのではなく、「並立するもの」とか「協調するもの」と考えてみることにあると思う。まぁ、メタな視点といってもいいし、バーズビュー(俯瞰)っていってもいいし、アウフヘーベンっていってもいいし、そのあたりはどれでもいい。でも「対立するもの」を「ほんとに対立するものなの?」って考えることが大事ではないかと。

 

 例えば、今回の件に関して言えば、

 

 「2歳児に飴玉をあげるなんて!」

 

 と、

 

 「救出されたんだからまず喜べ!」

 「山に飴玉もっていったなんて正しい話じゃないか!」

 

というのが「対立するもの」になってしまっている。

 

 でもこれらはそもそも論理的にも対立する概念ではないわけで。

 

 となると、一方的にどちらかを批判するのではなく、両者を統合·総合した次のような言葉になっていればみんな納得しそうな気がするんだけれども。

 

一般的に2歳児が飴玉を食べることには喉をつまらせるなど大きなリスクがあります。しかし山の中での遭難など、緊急時には手っ取り早いエネルギー補給食として飴は持参されることも多いです。もし小さな子どもに飴玉をあげるのであれば、大人がそばについてちゃんと見ているか、ないしは子どもが喉を詰まらせないサイズに砕いてからあげましょう」

 

 さて、このような「統合·総合」というのはコミュニケーションプラニングの世界でも有効だと考える。

 

 必ずしも、買い手と売り手の意見は噛み合うものではない。その調整を「統合·総合」するのがある種のプラニングであり、それによって買い手と売り手にcomの状況を生み出す。だからそれが「コミュニケーション·プラニング」なのであって、単に越境したメディアやクリエイティブ手法に関するプラニングが「コミュニケーション·プラニング」ではないのだよね。

 

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