今日は朝からこの広告が話題です。
「ベッキー復活」の中でももっともインパクトがありそうなのが、民放放送局ではなく天下の日経新聞、しかも30段の広告でどーんと出てきたらそりゃ注目されます。
しかし本件については、コミュニケーション関連・マーケティング関連のビジネスに携わるものとして考察してみるべきは、"ベッキー復帰!"ってところではなく「なぜ新聞?」というところではないかなと。
もちろん宝島社といえば、樹木希林さんを採用した「死ぬときぐらい好きにさせてよ」(2016)や、「おじいちゃんにも、セックスを。」(1998)など、その時代時代に強烈なメッセージを投げかけるコピーで新聞広告を続けてきていますが。
おじいちゃんにも、セックスを。 (別冊宝島 1502 カルチャー&スポーツ)
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2008/02/07
- メディア: 単行本
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※宝島社の広告について詳しくは以下のリンクをどうぞ。
さて。今回のクリエイティブで言えば、ベッキーを使って、「あたらしい服を、さがそう」という、「、」の入れ方うまいなあ、とか、宮崎あおいだったら earth music& ecology だな、とか色んなことを考えますが、ここではせっかく mediologic という名前をつけたブログなので、「メディア」的観点で考察しておきたいと。
僕自身は、電通時代に電通内で初めての「コミュニケーションデザイナー(プランナーだっけかな?)」という肩書の名刺をどさくさに紛れて作ってもらって以来、途中、Googleだとか、Marketing Engineだとかで仕事していた期間を除けば、10年もいわゆるコミュニケーションプランニングの仕事をやってきてることになります。
この「コミュニケーション・プランニング」という仕事においては、僕の考えでは、戦略とメディアが二大重要ポイントであって、いわゆる広告業界におけるレガシーな意味でのクリエイティブワークというのはその次に来ます。
戦略面では「コンテクスト・プランニング」という、自社/社会/業界/ユーザーといった4つの領域での“文脈”を読み取り、商品やサービスなどがどのようにそれらの”文脈”の中で語られうるかを考えることを行います。そしてメディア面では、レガシーなメディアプランニングと違うポイントとして、1)広告業界で扱われているような「広告媒体」だけを「メディア」と考えるのではなく、むしろマクルーハン的な思考で「メディア」を考え、扱う。そして、2)実際に人々は複数の「メディア」によって構成される「メディア環境」の中で生活しているのであって、それぞれの「メディア」はメディアがもたらす価値よって”布置”されている(=位置付けられている)という、いわばマーク・ポスター的な思考で考えていたりします。
マクルーハン理論―電子メディアの可能性 (平凡社ライブラリー)
- 作者: マーシャルマクルーハン,エドマンドカーペンター,Marshall McLuhan,Edmund Carpenter,大前正臣,後藤和彦
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今回、ベッキーを採用した広告については特に2)の側面において、面白みを感じています。
この宝島社の広告は特定の商品を売るものではない企業広告ですから、購買層的なターゲットユーザーというものが設定されていて、そこにリーチするメディアとして日経新聞が選ばれているということではないと思います。一般的なメディアプランニングの思考としては、「企業広告だから新聞かなあ、特に日経がいいんじゃないの?」くらいかもしれません。しかし、もうちょっと頭を使ってみると、「新聞だから」の部分の面白さを発見することができます。
広告業界で有名な新聞広告のひとつに、としまえんの「史上最低の遊園地」というのがあります。1990年の4月1日、エイプリルフールに掲出された広告です。
ここで少し考えてみて下さい。この広告が、交通広告や雑誌広告として出ていたとして、この「史上最低の遊園地」という言葉がインパクトを持って読まれた(見られた)でしょうか? おそらくNOです。
もともと媒体への接触態度調査などでは、新聞というメディアは「信頼性」という項目が非常に高い情報源となってます。この「信頼性」の高いメディアにおいて、敢えて「ウソ」をついたところに、「史上最低の遊園地」という広告の凄さがあるわけです。つまり、メディアが持っている世の中の位置付け・人々の認識を逆手にとっているということ。
こうした「メディアへの人々の認識・態度・行動」というのは「メディア・エンゲージメント」という言葉で定義されています。この「メディア・エンゲージメント」は、コミュニケーションプラニング観点でのメディアプランニングにおいて、非常に重視されるべきコンセプトです。同じメッセージであっても、その伝えるメディアに対する人々の態度によって伝わり方どころか解釈のされ方まで変わる・・・例えばそんな感じです。
そして今回のベッキーの30段。これ、日経なわけですよ。で、その日経新聞で話題の女優さんを出してきた。当然話題になるわけです。
しかし、「史上最低の遊園地」の時代と今との違いで最も大きいのは、ソーシャルメディアの普及。話題になれば、その広告の写真を取ってみんなが Facebook や Twitter でシェアし、多くの人の目に触れるようになります。これは先に述べた「メディア環境」が2つの時代によって違うわけですが、今回の宝島社の広告は、新聞を使いつつソーシャルメディアの時代であることをうまく活用している、別の言い方をすれば、新聞というのをトリガーにして、ソーシャルメディア上でのリーチを獲得できるようになっている、ということになります(※天下の日経とはいえ、宝島社が届けたい人々への広告リーチは難しいでしょう)。こう考えると、新聞だから、新聞広告だからといったメディアエンゲージメントがあるからこそ、今回の宝島社の広告が成立していることがわかります。
※他には、出版社は他の業種と比べて新聞広告が安価に出せるというメリットも活かしていると思います。雑誌やテレビ・ラジオでは出版業界向け料金は設定されてませんが、新聞広告業界だけは長年の歴史の中で、出版料金というものが存在します(それも一因で医者とか健康系の”本”がたくさんある。もちろん薬事の問題もあるけど←この件については追って)。
上記から、”新聞広告”の活用についてまだまだやれることはあるんじゃないかとも思いますし、やはり、コミュニケーションプラニングやメディアプランニングというのは「メディア環境」という視点が必要だなと思うわけです 」。なので「メディアエンゲージメント」という概念もコミュニケーションプラニングやメディアプランニングやってる人間は理解しておく必要がある。
※以下の資料にもメディアエンゲージメントの説明が少しあります。
最後に話変わりますけれども、宝島社の広告って、オリビエーロ・トスカーニがいた頃のベネトンの広告の流れを汲んでる感じがしますよね。トスカーニははっきり言ってましたが、人々は広告で商品を買わないし、広告は死んでるしうんぬんといった80年代のボードリヤール的な消費社会論などを踏まえたような、「広告の死」を持ってして、広告のクリエイティブを行っていたように思います。なので、当時のベネトンの広告は、広告なんだけれども商品やサービスのメッセージはなく、社会的なメッセージで溢れかえっていた。今、彼のやっていたことは、デジタルだなんだと言われる中で、改めて「広告の役割」を考えるにあたって再度注目されるべきだと思います。