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「学ぶ機会」を増やし「話す機会」を増やすだけでは、後進に貢献できないと考えたので。

久しぶりのブログ更新です。

本日、2016年2月19日金曜日15時、受験していました大学院の合格発表があり、そして合格者8名の中に入ることが出来ました。

この4月から一期生を迎える大学院、京都大学大学院経営管理教育部博士後期課程、がそれです。

昨年の夏ごろに以下のようなリリースで発表になった、京大のMBAやデザインスクールの兄弟分にあたる博士課程で3年間の研究で博士号(経営科学)Ph.D. in Management Science の取得を目指すコースです。

H27.07.29 平成28年度より経営管理大学院に「経営科学専攻」(博士後期課程)が新設されます(リリース)

このコースは、「”高度専門職業人博士”の養成を使命とする」とアドミッション・ポリシーにあるように、国立系の大学としては相当意欲的な試みで作られていると思います。

(アドミッション・ポリシー) 大学院経営管理教育部経営科学専攻(博士後期課程)は、本学独自の学風と伝統を踏まえながら、高い研究能力と高度な実務能力を有するグローバル・ビジネス・リーダーとしての高度専門職業人博士の養成を使命として、積極的に教育と研究を進めています。博士後期課程では、原則として、修士または専門職学位を取得し、実務経験を有する高度専門職業人を対象とした選抜を実施します。 博士後期課程において、受け入れることが望ましい学生像として、本大学院の理念・基本方針に基づく次の3点を想定しています。 (1)本大学院が掲げる理念と目的に共感し、現代のマネジメントが直面する複雑かつ多様な諸問題に主体的に取り組む意欲を有していること (2)高度専門職業人博士の育成を目的とした博士後期課程の教育・研究プログラムとカリキュラムに対して、旺盛な知的意欲と社会的役割意識をもって参加できること (3)本大学院の理念と目的の実現へ向けた活動を遂行するため、必要な基礎学力および基本的能力を有していること

上記の中で「実務経験を有する高度専門職業人」となっているところが、それにあたります。

(カリキュラム・ポリシー) 博士後期課程では、経営管理教育部が掲げている「理念」と「基本方針」を達成するため、カリキュラム・ポリシーとして2つの大きな柱を設けています。 まず、学生はコースワークに基づく講義、演習、実習による経営科学の知識と研究方法の修得を経て、研究指導において、3つの研究領域「実践ファイナンス」、「サービス・イノベーション&デザイン」、「プロジェクトマネジメント」の中の1つの研究領域において専門性を高め、かつ実務に役立つ総合性を身につけることが可能になるように指導を受けることが可能なカリキュラムとしています。 また、グローバル競争の時代においては、従来の専門分野の枠には収まらない課題が重要になっています。博士論文作成に当たって、専門分野の異なる教員で構成されたチームによる複数指導体制をとった上で、研究指導を「経営科学特別演習」として必修科目として明確に位置付け、「経営科学特別演習」の単位取得と連動した「予備審査」、「資格審査」、「博士論文中間審査」からなる段階的なチェック体制を整え、博士後期課程全体で学生の進捗状況を管理した上、「博士論文審査」へ至る研究指導を行うカリキュラムとしています。

カリキュラム・ポリシーの中では、「実務に役立つ総合性を身につけることが可能になるように」という一文や、「グローバル競争の時代においては、従来の専門分野の枠には収まらない課題が重要になっています」というくだりは、他では少ない特徴のように思えます。

(ディプロマ・ポリシー) 博士後期課程では、本大学院の理念の中で「先端的なマネジメント研究と高度に専門的な実務との架け橋となる教育体系を開発し、幅広い分野で指導的な役割を果たす個性ある人材を養成する」をうたい、それを実現するためにカリキュラム・ポリシーを設定しています。 このため博士後期課程で「博士(経営科学)」の学位を与えられるには、所定の期間在学し、カリキュラム・ポリシーに沿って設定した博士後期課程プログラムが定める授業科目を履修し、基準となる単位数以上を修得するとともに、研究指導を受け、博士論文の審査及び試験に合格することが要求されます。 博士論文の審査及び試験は、その論文が研究の学術的意義、新規性、創造性、応用的価値を有しているかどうか、また、博士学位申請者が研究企画・推進能力、研究成果の論理的説明能力、研究分野に関連する高度で幅広い専門的知識、学術研究における高い倫理性を有しているかどうか等をもとに行います。

また、ディプロマ・ポリシーにあるように、「先端的なマネジメント研究と高度に専門的な実務との架け橋となる教育体系を開発し、幅広い分野で指導的な役割を果たす個性ある人材を養成する」という、社会的な役割を明確にした目標があることもこのコースの魅力だと思います。

私は「サービス・イノベーション&デザイン領域」に属することになる予定で、これは以下のような”高度専門職業人博士”を輩出することを目的にしています。

<育成する具体的人物像> ・サービス経済の進展に鑑み、企業・公的機関が直面する種々のサービス高付加価値化の課題に対して、グローバルな見地からサービス活動の観察・分析・評価の研究を行い、独自のサービス価値創造フレームワークの構築、検証を行える専門人材。 ・海外のサービス経営専門家に対して、説明・説得を行える人材。さらに、様々な領域におけるビジネス展開において、デザインという視点でビジネスをリードし、イノベーションを起こせる専門人材。

さて、ではなぜいまさら大学院、しかも博士号をとろうと考えたのか?ですが、遡れば、社会学の修士号を取った時点で、すでに博士号はいつか取りたいなと漠然と考えていました。しかしながら、今回ついに実行に起こしたのはもっと別の理由です。

この10年ぐらい、いろいろな大学で教える機会を頂戴していました。単発のゲスト講師もあれば、国立大学の社会学の正式な単位となる講義を受け持ったこともあります。最近では学部のみならず、修士課程、それも商学やMBAの中で教える機会もポツポツと出てきていました。また、そうした大学外でも、さまざまなセミナーでの講演や、日経BPの『BtoBデジタルマーケター養成講座』に監修と講義・ワークショップを担当させていただくような、ありがたい機会も多数あります。

こうした機会がある中で、

 「高広さんはもっと人に教えることをすればいいのに」

と言われることが少なからずありました。

当然、大学院の博士課程を経ずとも、教える機会は作れるでしょう。しかしながら、人に教える機会が増えると、それに比例するように自分自身が教える内容について、体系化やより深く学びたいという知的好奇心が沸き起こるのも事実で、自分の中ではこれを満たす必要性を感じて来ました。

また、多くの方はご存じないでしょうが、MBAなど修士課程で教える先生方は基本的には Ph.D. を持っており、「修士で教えるためには博士号が必要」というのがほぼ当たり前になっています。それはそうですよね。簡単にいいすぎですが、中学生が中学生を教えるというわけには行かないのと同じで。

もう、学部生に対して教えるのは正直自分の中でツラいということもあり(苦笑)、教壇でも教える機会を得たいのであれば、この「修士で教えるためには博士号が必要」というのは”最低限の資格”として捉えなければならず、これは行ってみれば、トレイルランニングで言うところの、富士山一周レースである「UTMF」に出るためには、それに出るためのポイントが必要ということに匹敵するのではないかなと(=博士号をとるのは3年間のロングトレイルレースに匹敵・笑)。

さて、タイトルにもしたような、”「学ぶ機会」を増やし「話す機会」を増やすだけでは、後進に貢献できないと考えたので。”については、上記したような、教える機会・話す機会を増やす、ということも当然含むわけですが、それだけではありません。   むしろ、ロールモデルとして、「”ちゃんと”学んで後進に教えよう」とすること、そして、将来的にはMBAなどの修士号を取得するだけでなく、そのあとにMBAで教える立場としてのロールもあるということを実現してみたいと考えてるからです。

どうも日本の場合は特にアカデミックな世界と実学の世界での距離がありすぎるような気がしています。

とりわけ、経営・マーケティングの世界ではその傾向は特に強いように思います。

このギャップには、

 ・アカデミックな世界のほうが抽象的なモデルになりすぎていて、実学者にとって役に立たないと思われている。  ・実学、特にコンサルタントはバズワードやプラスティックワードに踊らされ、適当な理屈で物事を語っている。

という両方の側面があると思いますが、そこを埋める人材はもっと必要だと思います。そして自分はそこをやりたいし、そういう人が増えるためには自分が見せなければならないと。

なぜ強くこう思うのかというと、自分が修士課程で書いた論文の世界(=ポスト消費社会論/消費者ではなく使用者の時代)というのが今マーケティングやビジネスの世界で適用可能なものとなっており、またずっとやってきたプラニングの基盤にはその思考回路があることを強く感じるからです。つまり、アカデミックな世界でやってきたことは実学において役に立たないことはない、と。

そして一方で、実学の世界の、加速度が増している変化の世界に対して、アカデミックな世界は追いついていないようにも見えますし、そこも埋めなければいけないポイントです。

こう考えると、社会人やりながら、博士号を目指すというのもなかなか社会的意義があるな、と勝手に思いますし(笑)、また、自分自身の知的好奇心が40半ばにおいてもふつふつとあるということを楽しく思います。

さて、まとめましょう。

 ・学ぶなら正しい学びをして、後進に正しいことを教える機会を持とう   (=バズワードに踊らされるだけで偉そうなことを語る人になるな。  ・自分自身の知的好奇心を満たすにおいて、京大での博士号を目指すくらいの”山”があるなんて楽しいじゃないですか。

特に前者においては重要なことではないかと思います。これは「教える側」に立つ人間にとって。

あるこの業界で有名なコンサルタントに言ったことがあります。彼は業界の中でも「弟分」と考えられていた人物ですが、どうも彼の言ってることは、誰かの本の受け売りか、話題のワードの組み合わせのようで、しかも本質をついてないか、あるいは誤ってる内容が常々あり、「自分の言葉で考えて、語ってる?」と何度も聞きました。ただ、彼の返答は「こんな僕の話でも書いてるものでも、ありがたがってくれる人がたくさんいるんです」というものでした。この言葉には愕然としました。これって、自分の書いてることが間違っていたとしても、相手が喜んでくれるならいいんだ、ということであって、教える側に立つものとしては「無責任」であると。自分が学んだことを人に教えるというのが、相手を喜ばせるために行うのであれば、それは「ハーメルンの笛吹き男」に過ぎません。

それゆえ、「教える側」であればあるほど、”正しく”学ぶということの重要性が増し、そして責任感も増すということを自覚せねばならない。

※上記の彼には、未だに大学院での(しかもハードル高めの)「学び」を「教える側の責任感」を感じるためにも経験してもらいたいと思ってはいるのですが。

このように考えて、職業と学業の兼業、東京と京都といったタフな環境ではありますが、長いトレイルランニングのレースに出場したのだと思って、3年間での Ph.D. 取得に頑張りたいと思います。

以上!

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