■これでいいのか? ブログ世界の理不尽な未成熟さ(花岡 信昭氏/政治アナリスト)
NHKが荒川静香のウィニングランの映像を故意に切り替えた(かのように見えた)件で、ブログ界が騒ぎになったケースを例にして、
ブログはいわゆる「ネット・オタク」に占領されているのではないか。これを大人の世界にも通用するレベルに持ち上げないといけない。そのための方策を考えないと、成熟したネット社会は到来しない。
という話。
これはどちらかといえば、今まで silent majority だった「大衆」に対しての対応策を、これまでのマスメディアがどのように考えるのか、の問題であって、ブログ=オタク集団、ネットにおける大人社会形成、といったものではないと思うんだけどなあ。
つまりパラダイムが変わってる。
そこを、これまでと同じ、「何が善で、何が悪か」、「真実とは何か」といった、ジャーナリズム論で論じてしまうこと自体が時代の変化についていっていない気がする、論考でした。
※NHKにクレームつけた人たちがいた、ということを擁護するわけではない。
むしろ、人々が(清濁あわせて)情報・意見を発信するツールを持った、ということこそ賞賛されるべきであって、そこで“炎上”したからといって、ブログ全てを批判するようになるのはちょっと「俺は世の中をよくわかっているんだ」的に思われて、余計に炎上してしまうとおもうんですよね。
ネットの世界は、いわば「オフラインの世界」(「リアルの世界」とはすでに呼べない。ネットはすでにリアルな世界だから)の映し鏡なのであって、そこに清濁あるのはしょうがない。マスメディアから定義づけられる「大衆」に対して善悪を押し付けるのは、むしろ「マスメディア=善」といった構図・思想から逃れられていないのだろう。
いや、むしろマスメディアの存在意義は「マス」の存在によって成立するわけで、そこでの「マス」は「マス」というひとつの塊であって、個々人の集まった集団ではない。なので、ブログというパーソナルなメディアがよりあつまってバーストすることなんて、なかなか認められない(=認識できない)ことなんだろう。
そういや昔は「マンガ」も焚書坑儒にあったし、ケータイも最初は疎まれたメディアだった。新しいメディアは常に「大人」によって理解されない結果、茨の道を一度は通らざるを得ない。しかし結局は一般の人たちが受け入れるか、受け入れないか、なのだ。受け入れられたメディアは、「大人」が何を言おうと残っていき、自浄的に成熟していくもんなのである。
まぁ、新聞記者出身の花岡さん自身も自分のブログというものを持てて、そこでいろんな「批判」が制約なしにできるようになったわけだから、「ぶろぐ・いず・ぐれーと」な感じはするんですけど。。。ね。(そもそも日本のジャーナリズムってレベル高いの?って疑問もあるし、そしたら花岡さんの前提自体崩れるしなあ)
ちなみにこの件に関しては、花岡氏のブログにもTBされている、「もののふのこころ」さん(自称・ネット右翼?!?!初めて聞きました)のエントリが的を得てる気がします。
花岡氏の取材姿勢には敬意を表するし,その結果もほぼ納得できるものではあるが,あのコラムにはやはり違和感を感じた.既存のメディアに属していたもののネット言論に対する危機感を別な形で表現したような文だった.要するに,花岡氏は既存メディア側の人間だったので,ネット言論をどうしても好意的に解釈できない,若しくは擁護したい思惑が少なからずあったと読み取れる文章だったということ.大凡の真っ当と思われる批判は,そのところの微妙なニュアンスを嗅ぎ取っていたから為されたものと思う.
あとは、大西宏さんの例の「マーケティングエッセンス」におけるエントリも。