大学に行くべきかどうか、大学に居続けるべきかどうか退学すべきか。
錦織圭や石川遼はマックでバイトしない—「大学に行かない若者」と接して | ikedahayato.news.
こうしたおバカな記事を読んで思ったこと。
ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ、ホリエモンとかをとりあげて、大学は中退でもいいし、行く必要もないという意見も多々見受けられるわけだが、実際のところは、シリコンバレーであってもCS(Computer Science)の学士をとったあとにMBAをとってるような連中がごろごろいて、そういう連中がベンチャー始めたり、あるいは、ベンチャーの中興期にそれなりの学歴エリートが参画して企業規模を大きくするなんてのがむしろ普通。老舗ベンチャーインキュベーションオフィスの Plug and Play TechCenter とか行ってみるとわかるけど、大学間の競争があったりして、なかなか興味深いし、ある種の学閥と学歴エリートがベンチャーを下支えしてるのだな、と。そうした学歴エリートで構成されているベンチャーの現状を知ってるのか知らないのか、そのへんをすっ飛ばして語られることが多いのが不思議でたまりませんわ。
ところで、僕の場合は大学院まで逝ったのですが、正直、大学は不要な人には不要だし、むしろ行くべきじゃないとおもいます。
じゃあ、大学行かなくていいじゃない、って思うのはどういう人かと思うと、
1)はやく起業したい若者
正直なところ、大学みたいに緩いところにいたら、大学行きながらでも全然起業できてしまうと思うし、例えば、僕の大学の先輩でもある加藤順彦さんは当時からテレビにも出るような「学生起業家」(この言葉が死語かw)だったのを見ているので、大学にいてもいいんじゃない?と思うんだけど、「大学に行ってる時間がもったいない」って思うなら、さっさと辞めたほうがいいと思うんだよね。だってそもそも「大学で学ぶこと」に価値を感じてないなら、確かに学費ももったいないから。ただ、「あの時大学行っておけばよかった」って人も、中退者や高卒者に多いうえ、世の少なからずの大人が「大学でもっと勉強しておけばよかった」と漏らす、という事実も理解しておいたほうがいいと思うけど。ちゃんと自分が大学で学ぶことについて価値を付けられるのかどうか、あるいは判断できる能力があるのかどうかは自分で見極めるべきでしょう。ただし、全ては自己責任なので、後になって後悔の言葉を吐くのだけはやめとけよ、と。
2)めちゃくちゃ勉強したい若者
こちらについては、僕自身がGoogleで働いていた3年間に感じたことも背景にあるわけですが。僕が在席していた頃のGoogleなんて、社内でどんな仕事してようがグローバルレベルでエリートな学歴集団で、彼らの教養と頭の良さとエンターテイメント性について非常に刺激を受けました。で、中国とかインドとかアジア圏の超エリートも集まってきており、正直なところ日本の教育環境ではこうはならないな、と感じることばかり。大学入るのもそれなりに大変であって、しかも出るのも大変というストレッチ環境下に置かれなければあそこまで優秀な人材は出てこないんだろうなあと。この頃から思っていたのは、残念ながらゆとり教育下のゆとり脳のゆとり層が大学に入り、全入時代に突入し、ストレッチされない日本の大学はもう知的レベルを高く維持する機関として存在し続けるのは難しいのではないか、と。これは大学側がどれだけ頑張ったとしても、基礎教育の部分で脳みそを緩めることになれてしまった世代をストレッチするのは相当タフである、と、この数年、国立や私立で非常勤をやって思う次第。もちろん個々に優秀な学生と出会うことはありますが。さて、「大学行かなくていいじゃん」ということについてですが、もしめちゃくちゃ勉強したいのであれば日本の大学に行くんじゃなくてさ、ということです。スタンフォードなんかもそうなんですが、いわゆるビジネススクールとかロースクールとかメディカルスクールってのはすべて「大学院」なのであって、学士過程なんて、地球科学部、工学部、人文・理学部しかないんですよ。プリンストン大学にいたっては教養学部と工学部しかないし。ボストンの大学なんて、バーバード大学とかマサチューセッツ工科大学は単位互換してるわ、オープンユニバーシティも充実してるわで、めちゃくちゃ学びにいい場所なわけで。というわけで、めちゃくちゃ学びたい人は(日本の)大学に行かなくてもいいんじゃない、って思ったりします。むしろ海外の大学で勉強したほうがいいんではないかと。っていうか、さっさと日本脱出しなさい、と。
3)価値を自ら探すことをしないバカ
大学行かなくていいじゃん、行っても価値ないよ、人脈とかつくるだけでしょ、でも今人脈なんてソーシャルメディアでできるし、というバカは大学行かなくていいかと。そもそも言っときますが「大学でできる人脈なんてそこまで大した価値はない」ですから、「人脈ができるから大学に行く」という前提で「人脈作るのはソーシャルメディアでできるから大学なんて行く価値ない」なんて議論がおかしいんです、そもそも。は!もしかして、大学で人脈ができる!ってまさかの幻想ですか?それは大きな間違いでしょう。(一応)高等教育機関である大学において、そこで学べることを第一の価値として考えずにいったいぜんたい何を「大学に行く価値」と言うんだろうか、と。おなじ興味関心を持つ学生とインカレで研究会を作るのもよし、大学の先生にべったり引っ付いて海外へのフィールドワークへ行くもよし、4年間という「学びの時間」を与えられたにもかかわらず、それに対しての価値を感じられず、人脈作りの場としてしか大学を考えてないのであれば、そんなバカは大学に行く必要はないでしょう。
1)のような起業して働きたくてしょうがない、というのと同様に、学びたくてしょうがない、という人であれば4年間を学びの時間としての「価値」を見出すことができるはずで、それができないのであれば辞めれば、さっさと。行かなくてもいいし、って思います、と。
さて、イケダハヤトくんの上に上げた記事においては、どこかの残念ながらオツムの弱い記者が発した、錦織選手と石川選手はマックでバイトしないというわけのわからないたとえに共鳴している様が見て取れるわけですが、この二名に関して言うと、
錦織圭 → テニスを始めたのは5才 現在22才なので、キャリアは17年 石川遼 → ゴルフを始めたのは6才 現在20才なので、キャリアは14年
なわけです。
彼らは大学生(の年齢)になってゴルフを始めたわけじゃなく、過去のキャリアに基づいて今稼いでいます。なのに「マックでバイトしない」とはもう、バカとしかいいようがありません。しかも経済紙の記者というわけですから、記者のレベルも堕ちたもんだなと、悲しくなります。
しかもこの両選手においても結局は親の環境など、「環境によって」今の生活を成立したのであって、ともすれば別の選択肢もあったかもしれないという点においては、ふたりとも見方によっては可哀想ととれるかもしれないわけです。というのも、僕は知り合いにプロゴルファーがいたりするんですが、彼/彼女たちも小学生ぐらいからゴルフをやってるにもかかわらず、ツアー参加の権利も獲得できなかったりすることもあり普通にゴルフ場の仕事をこなしていたりするんです。そんな彼/彼女から「ゴルフしかやってきてないから他の生活が想像できない」なんて言葉がでてくることもあったりするので、一部の超エリートである、錦織選手や石川選手のような人々だけとりあげて話をしてもね。
なので、ぽっと大学に入った若者が10何年も続けてやってきたものがないんであれば、いいじゃん「マックのバイト」やっても。 はっきりいって世の中すべてが教科書みたいなもので、でも教科書ってそもそもそれだけではつまんないものであって、しかしそれを面白く感じられるかどうか、役に立つものとするかどうかははっきりいって自分次第。つまり、それに価値を感じられないのも自分の問題なのであって、「マックのバイト」に価値がないなんて、他人に押し付けるようなこと、僕には到底言えませんわ。
もし、キャリア、ということについて心底考えたいのであればこちらの高橋俊介先生の本をオススメします。
↑2003年
↑2012年
両方読んでみてもイイかも。
ここまで書きましたが、正直なところ、「大学に行くか行かないか」なんて、キャリア設計においてはパーツにすぎないので、そんなレベルの議論自体がバカバカしいのですが、常々イケダハヤト周辺の「大学行く価値ない論」が薄っぺらい狭視野な話ばかりなので、つらっと書き纏めてしまいました。
あー、時間使ってしまったw
なお、「マックのバイト」という仕事について、職業の貴賎をイケダハヤトくんはもってるんだな、とよーくわかりましたし、こちらについて書きたいこともありますが、これについては博報堂の先輩であり、キャリア論のエキスパートである、山本直人さんが書かれたので、こちらをお読みください。