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メディアと広告とマーケティング、そしてサービスデザイン。

マス広告は全否定されるべきものなのか? マスをネットに置き換えるっていうような文脈自体がおかしいよ。

昨日開かれていたセミナーに関する、ITmedia の記事より。

■“テレビCM崩壊”時代、ネット広告の役割とは

テレビCMの効果が薄れてきたと言われ、ネット広告に注目が集まっている。ネット広告ならではの特性や最近の動向を、広告界のキーマンが語った。

どうなんでしょう。テレビCMを否定し、ネット広告が凄い、なんていう話自体が、なんかの脅威論みたいですけど、実際にはそれぞれをうまく使いこなせばいいんであって、「テレビCMはダメ、これからはネット」なんて話を“広告界のキーマン”が話をしてたりすると、“広告界”自体お寒いですよね。そんなんでいいんでしょうか。

「テレビCMの効果が薄くなってきたと今になって言われるが、テレビCMは前から“トイレタイム”と呼ばれていたではないか」 (略) 高広さんは、テレビCMはもともと「捨てられていた時間だ」とし、冒頭のように語った。

確かに本質的に、テレビCMは何十年もかけて「トイレタイム」や「コンシューマに捨てられてた時間」としての課題を持ってきた。でもだからこそ、広告業界のクリエイターたちは「より注目されるためのテレビCM」を日夜奮闘して作ってきたのだし、またメディアプランナーたちは「よりリーチしやすいテレビCMの利用プラン」を毎日徹夜までして作り上げてきた。なので、頭ごなしに「テレビCMはダメ!」というように言う風潮はほんと腹立たしい。

いま「テレビCM」が置かれている課題は、簡単な話ではない。

以前は、企業が産み出す商品自体が「マス」を対象にしたものが多かったからこそ、マス・マーケティング、マス・メディアが“効いていた”。しかしながら、最近はよりコンシューマのライフスタイル・嗜好の細分化にあわせた商品が多数産み出されてきているため、そのマーケットサイズにあわせると「マス」なメディアがフィットしなくなってきてるケースも多いのである。

となると、「テレビCM」がダメ、なのではなくて、「今のテレビCMの使い方だけじゃない、他の使い方、流し方のアイデアってないの?」という前向きな議論が必要となってくるのである。

なので、ここでセミナーで「冒頭語られた」ようなことを登壇者が本当に思っているのであれば、その人物の広告業界に対するマインドの低さと、業界認識のなさを相当疑ってかかるべきだろう、と思う。

「企業が“商品に合ったコンシューマ”を探す時代から、コンシューマが自分に合った商品を探す時代になった」などと語った。

これは非常に重要なポイントで、これこそが、コミュニケーションプラニングやマーケティングのパラダイムシフトなんだと思う。だからこそ、相当の発想の転換が必要になってくる。

でも結局はコンシューマにフォーカスしてるかどうかだと思うんだけど。

例えば、ブログとかいわゆるCGC/CGMってのでマーケティングを行いたいけど「炎上が怖い」っていう企業さんがいたりする。でも僕の過去の経験からいって、既にコンシューマにフォーカスをしたマーケティングを行っている企業さんは、そんなことは思わず、むしろ積極的にどうしたら、コンシューマの中に溶け込むか、を考えている。

なので「炎上が怖い」っていう人が自社内あるいは取引先にいたとしたら、きっとその人たちは普段からコンシューマのことを重視したマーケティングを行っていないんだと思う。この辺は、「コンシューマオリエンティッドなマーケティングをしているかどうか?」のリトマス試験紙ともいえるかも。

高広さんは「日本には『消費者のためになった広告コンクール』というものがあるが、広告が常にコンシューマに役立っているなら、そんなコンクールがあること自体がおかしい」と指摘。

これは面白い。
これが前述したパラダイムに関わってくると思います。
広告というものが常に「企業が発信するもの」である限り、そこには「コンシューマの役に立つ」という観点は抜け落ちていたかもしれません。でも自社の商品・サービスの価値を cheat することなく、本当にわかってもらいたいのであれば、それは「あなたにとって役に立ちますよ」って言うことを伝えることです(そもそも昔の広告にはそういうものが多かっただんだけど...)。
なので、広告っていうものをプラニングするときの視点を変えてみると、実はあらゆる広告が「消費者のためになる」要素はあって、そうなるとこのコンクール自体が『消費者にもっとも支持された広告コンクール』ってのになるんじゃないかな、って気がします。

実際この『消費者のためになった広告コンクール』はいわゆる大御所の審査員、なんてのが集まっていきなり審査するものではなく、「一般消費モニター」の推薦、「広告主」の推薦、「広告会社、制作会社」の推薦によって、決定される、という数ある賞の中では一番民主主義的なものです。なので、本来的にはこのコンクールの名前自体を『消費者に支持された広告コンクール』って名前に変えていいのかもしれません。むしろ『消費者のためになった』という言葉には二面性があって、「そもそも広告ってためになってないの???」ていう疑問と、「消費者のためになった広告ってどういうものだったのか、この一年の広告を振り返ってみて、反省しよう」という広告主と広告会社・制作会社の内省の意味を込めて行われているのであって、このコンクールを全否定するような発言ははっきしいって問題発言でしょう。

ただ、ほんとうに「消費者のためになる広告」って観点は面白いです。

Googleの広告なんかも、CTR(クリック率)が低いと「出なくなる」なんて機能があったりしますが、それも、CTRが低い>広告として効いてませんよ>コンシューマに支持されてませんよ>支持されるようにクリエイティブ変更してみましょうよ、といったクリエイティブの価値=「コンシューマと企業を繋ぐこと」だということを示しているんだと思います。

広告はコンシューマにとって邪魔で役立たないものになってきていると語る。

いやあ、もしこの登壇者がこの言葉を言っていたのだとしたら、「天にツバする」ようなもんですね。業界から抹殺すべきです。広告ビジネスの中で働いている全ての人から殺されますね。彼らの努力を評価しないなんて。

しかし、一方で「コンシューマにとって広告が“情報”になるために何をすればいいか」という前向きな議論もしているので、たまに過激な発言はしがちな人物ですが、「邪魔で役に立たないものになってきている」といういわゆる“広告クラッタリング”の話は彼はしないでしょう。

例えば、自身のブログの中のこのエントリーでも、

消費者は自分にとって役に立つ情報であれば、それが「広告」であるか「コンテンツ」であるかは関係ないのだ。つまり、「広告」を消費者に役立つ「情報」として提示できるかどうか?がこれからの広告プランニングに必要な視点なのである。

というのがありますしね。

いずれにせよ、「この記事」においては、「マス全否定」とも取られるような発言録になってしまっていますが、実際にはこのセミナーにおいて語られた、もっと多くのことについては、セミナーの参加者の皆さんが一番よく理解されているのでしょう。