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メディアと広告とマーケティング、そしてサービスデザイン。

ソーシャルメディアは「聞いてもらってる感じ」が本質。

ソーシャルメディア業界では、「ソーシャルメディアは listnening のツールです」という話がよくでる。つまり、”生活者”たちがつぶやいていることをちゃんと聴こう、自分たちがどう言われているか、彼らはどのようなことをつぶやいてるかを理解しよう、という話。

もちろんこの「聞く姿勢」ってのは大事だと思うんだ。 ただ、「聞く」ということは消費者調査・社会調査をちゃんとやっているような、まともにマーケティングを行っている企業にとっては、凄くマトモで普通の話じゃないかな。

ただ、そうした「調査」で「聞ける」内容というのは、あくまでもマーケティング上必要な内容について、相手が「しゃべってくれる」のであって、ポンっと口から出てるようなのは、よっぽど優秀なインサイト調査でしか出てこない。しかしこれすら、「つぶやき」とは違うシロモノだと思う。

例えばツイッターは、マーケターからすれば[聴く]ツールなのかもしらないが、個人にとっては[聞いてもらえる/拾ってもらえる]ツールなんだと僕は思う。

単なる独立した”つぶやき”なだけなのだったら、そこにコミュニケーションは、ないし、ここまで人のつながりを増幅しない。

ブログに書いている内容は「読まれるか読まれないかわからないけど」という意識がどこかにある。でもツイッターの場合は「読まれたい」という意識が強いと思うんだ。単にPVやビジター数じゃなくって、フォロワー数っていう”つながり”が可視化されてるからね。

でね、周りにね、ツイッターやってみたけどわからないって言う人っていない? で、その人は「だってつぶやいても反応なかったら悲しいじゃん」とか言ってなかった? きっとそこに、このメディアの本質があると思うんだ。

ツイッターは、「聞いてもらってる感じがするメディア」として成立してるのだと。そしてそれに反応をしてもらうのが嬉しい。

だからツイッターを理解するには、この[聞いてもらえる/拾ってもらえる be/feel heard]という意識がどこかにあって”つぶやかれている”ということを解っておかなくちゃいけない。そのうえで、listeningのツール、って言わないといけないと思うんだよ。そうでないと「何を聞いてるのか」は理解しても、「なぜつぶやかれたのか」はわからないでしょう? ここがいくらダッシュボードを見ててもわからないこと、なんだよ。

さて、あなた個人がつぶやく場合もどう?

なんだかんだ言って、誰かから反応が無かったら寂しいでしょう? その感覚を忘れないようにしてほしい。 そして”つぶやき”にはそういった側面が含まれている、と。 listeningをする、ということは、そういった「be/feel heard」なつぶやき達を聞くことなんだと。

※ソーシャルメディアが孕む疎外感の醸成についてはまた別の機会に。