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「プリクラ」 1996/9/27 「メディア人間学」(京都新聞)

昨年、東京で行われた「おもちゃショー」に二〇インチ・モニターのついた高さ二メートルほどのヘンな機械が登場した。それにはカメラがついており、モニターに自分たちの姿が写るようになっている。CGでできたフレーム数種類の中から一つを選んで、コレだと思うポーズの時に〔決定〕ボタンを押す。するとその姿がシール十六枚一シートになって出てくる。ショーではオジサンたちに見向きもされなかった一方、イベント・コンパニオンのオネエさんたちが行列を作ったといわれるこの機械、名前を「プリント倶楽部(通称プリクラ)」という。ジャニーズの人気グループ「SMAP」のテレビ番組で紹介されて(彼らの写ったプリクラのシールがプレゼントだった)以来、現在までプリクラは女子中高生の間で爆発的なブームになっている。主にゲーム・センターやカラオケ・ボックスに設置してあったりするのだが、放課後や休日にその前を通ると女子中高生たちの行列に出くわすことも珍しくないぐらいだ。

このプリクラで特徴的なことは、一人だけで写ることは全くといっていいほどないということである。仲のいい友達と学校帰りに、あるいはナンパしてきたカッコイイ男の子たちと一緒に撮るのが普通であり、フレームの中には必ず二人以上の姿がある。これはプリクラの前で写るという行為自体が一つのコミュニケーションになっているのだろうが、同時に次のようなことも考えられる。米の哲学者スーザン・ソンタグは「写真を撮るということは、写真に撮られるものを自分のものにするということ」だと言ったが、プリクラでは自分自身もその中に収まるのであり、一緒に写った友人と同時に自分自身をも自分のものにしてしまう。言い換えれば、「ある日/ある時」の「自分」と「友人」との「関係」を縦一・七センチ×横二・四センチのシールの上に固定させているのである。それを互いに分け合い、手帳に、あるいはポケベルやPHSに張りつけて、「関係」を自分のものにしていくのだ。しかし一方でそれは刹那的だ。

私が出会った女子高生の中にはポケベル・PHSに思いっきりプリクラ・シールを張っているコが何人もいたが、スペースが無くなればその上に上にと新たに張っていくのだと言っていた。当然、上に張られているシール=「関係」ほど新しい。さながらコラージュされた彼女たちの「つながっていたい」ための2つのコミュニケーション・ツールは、「関係」の証としてのプリクラ・シールとの相乗効果の中で、現代の刹那的コミュニケーションを象徴化したものとなってしまっているのである。

だからおそらく今日も街の至る所でプリクラの前に立つ女子中高生がいるハズだ。ほんの数日前写したシールよりももっと新しいものを求め、常に「関係」を「更新」するのに必死なのだ。