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メディアと広告とマーケティング、そしてサービスデザイン。

パブリッシャーは本当に「分散化」に向かうべきなのか?

DIGIDAYの編集部はデジタルメディア周りの記事がうまくて、本日は

digiday.jp

という記事が出ていました。ここしばらく「分散化」というキーワードがメディアビジネスに使われているのは皆さんご存知の通りですが、私自身は非常に違和感を持って聞いています。実際は、コンテンツの分散配信、つまり配信先を拡げることによってコンテンツのリーチを増やすということでありますが、英語にはない「キュレーションメディア」という言葉と同時期に広がってきたこの「分散化」という言葉単独では、ある意味業界によくある無責任ワードの一つな気もします。

そもそもオリジナルなコンテンツの権利者が他にコンテンツを配信する際には、1)相手先がコンテンツが欲しいということから権利料をいただいてコンテンツを提供するパターンと、2)コンテンツ配信にともなって発生する利益(広告収入/有料コンテンツ収入など)を分配する、いわゆるレブシェアかどちらかがその事業モデルになっています。この1)2)の場合は「分散化」とはまず言いません。例えば、どこかのパブリッシャーがSmartNewsにコンテンツを配信したからといって、それを「分散化」と呼ぶことはないでしょう。

この「分散化」というのが、コンテンツの権利者がそのコンテンツを欲しい側に提供するという従来モデルと違うのは、メディア側自身がソーシャルメディアを中心にコンテンツを「分散化」させるというところにあり、分散的に配信されたコンテンツがシェアされることで読者数を伸ばすことができるだろうということを多くの場合パブリッシャが期待していることにあります。ところが上記のDIGIDAYの記事にもあるように、依存していたプラットフォーマーが方針を変えると、依存度合いの高いメディア(=パブリッシャー)ほど影響を受けるわけです。当然ですよね。

 

先に挙げたコンテンツの権利者とその法人利用者的な関係においては、金銭その他での経済的な緊張関係にあるので互いの主張をぶつけ合うことができるでしょうが、ソーシャルメディア系のプラットフォーマー依存の場合はビジネス構造が違うため、媒体社側も文句は言えるけれども、対して大きなチカラにはならないでしょう。となると、「分散化」はほんとにメディアにとって利になるのか?という話にもなってきます。

確かに「分散化」という言葉が流行っていますし、それ自体は大きな活用の仕方があると思います。しかし「分散化」はパブリッシャにとっては、集客のための”戦術”としてはアリでしょう。しかし、それを”戦略”的にコンテンツ配信のプラットフォームそのものにしてしまうのは、もっとも重要な読者との繋がりを失い続けてしまうことになるので大きな「?」であり、この点においてメディアは自社「分散化」戦略を取り続けるのは危険なのではと思う所以です。もちろん、集客戦略・読者維持のために使うのはアリですよ。でも「分散化」がダイレクトにメディアの収益に貢献することはないだろうな、と。

そして、長期的な目で見ると、そもそもメディア事業各社は”自社の顧客データ”についての考えが甘く、蓄積してこなかったのは大きな痛手なんではないか。ここはこれから改善すべきテーマな気がします。

いつだったか、Salesforce.comさんのイベントで講演させていただいた際、メディアが重視すべきものは読者リストとそのデータというお話をさせていただいたことがあります。今のメディア、特にマスメディアは顧客データを持っておらず、この部分においてデジタルメディアと比して、広告ビジネス的にも事業・サービス改善的にも、自社のマーケティング的にも(そもそもメディア事業者にマーケティングという概念がなかったとも言えるけど)、大きく負ける要素があると、ここが原因です。以前は向こうからお客さん(視聴者・読者)は来てくれたけれども、今は他にもコンテンツは転がっているので、選択肢が多い世の中ではじっと待ってるわけには行かないかと。

 

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そう考えると、やはり自社のメディアそのものが「ハブ」ないしは「コア・プラットフォーム」であり、そこに”継続的読者化”の仕組みをつけることを目論み、そのためにソーシャルメディアやメールマーケティングやアプリを組み合わせて、分散化とリピート化を図るというのが正しい戦略なのではないでしょうか。

なので、これまた世間で話題の(というかちょっと言葉としてはすでに下火???)になっている「マーケティングオートメーション」が最も必要なのは、メディア事業者だろうと確信しております。