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メディアと広告とマーケティング、そしてサービスデザイン。

日本における「メディアリテラシー」でいう「メディア」は超狭義だったりすることもあるので要注意。

メディアリテラシーで扱う「メディア」とは何か - ガ島通信.

藤代くんのブログ記事に呼応して。

実は日本における「メディア・リテラシー」は大学などでも「新聞学」や「ジャーナリズム学」と呼ばれていた講義から出てきているものが多い。時期的には90年代の半ばから、「メディアを批判的に読み解く力」としてこの語が与えられてきた。もう少し詳しく言えば「メディアが(報道する情報)を批判的に読み解く力」であり、より詳しく言えば、「(マス)メディアが(報道する情報)を批判的に読み解く力」となる。

面白いことにこれらの文脈で「メディア・リテラシー」という言葉をつかっている人たちは、「マスメディアが報道する情報は真実でない」という立場になっていることが多い。もちろん各報道機関が報道するときにはそれぞれの解釈・編集に基づいているので、それをわかったうえで情報を読み取ろう、というのがこの場合の「メディア・リテラシー」である。

例えば、90年代半ばに出たこれらの本を手にとってみればその状況がわかる。

渡辺 武達 (単行本 - Jan 1997) 『メディア・リテラシー―情報を正しく読み解くための知恵』

『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』

この言葉が出てきて広まり始めたころに、ちょうど大学・大学院でメディア論を学んでいたのでこのあたりの背景は非常に実感として残っているのだが、自分としてはマクルーハン的な「メディア」研究を志向していたので、これらの「メディア・リテラシー」論についてはそもそも「メディア」の定義が狭義すぎるとして、批判的な立場であった。

そんなときに海外の文献に出会ったときに、独でのメディア・リテラシー教育についての記述を見つけたことがある。それはあるインタビュワーが独の学校教師に

「あなたはメディア・リテラシー教育をされているということですが、どのようなことを教えられているのですか?」

と尋ねると、

「学校では、こどもたちにビデオカメラの使い方、編集の仕方などを教えています」

と答えていた。

日本でのジャーナリズム論を出自とする「メディア・リテラシー」とは「読み取る力」であって、海外でも欧米などではもともと同様の意味合いのものであったが、今では、独の教師の例のように「使いこなす力」の場合もある。

『メディア・リテラシー―マスメディアを読み解く』(1992)

日本では後者の視点での「メディア・リテラシー」は2000年の半ばぐらいから研究・書籍がようやく増えてきたように思う。とりわけ東大の水越伸先生はこの立場でのメディア研究を長きにわたって進めてきている。

『メディアリテラシー・ワークショップ―情報社会を学ぶ・遊ぶ・表現する』(2009)

また、「メディア」より広義にとり、芸術における「メディア・リテラシー」研究などもあって、広範囲になってきている。

芸術メディア研究会『メディア・リテラシー』(2008)

なので、「メディア・リテラシー」における「メディアとは何か?」という問いに対する答えは、それぞれの立場によって変わってくるものだということを理解しておかないといけない。つまるところ「メディア・リテラシー」論への「メディア・リテラシー」が必要ということなのだ。