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メディアと広告とマーケティング、そしてサービスデザイン。

放送・通信の在り方に関する、ふるかわ節、と、広告ビジネス

まずはここ数日続く、ふるかわさんの一連のエントリをお読みください。

■放送・通信の在り方に関する、私見 (6/5)
■放送・通信の在り方に関する、私見その2 (6/8)
■放送・通信の在り方に関する、私見その3 (6/10)
■放送・通信の在り方に関する、私見その4 (6/11)

いやあ、相変わらず、鋭い。
「陸蒸気と牛」の話なんて最高です。

さて、上記エントリを読まれたとして、広告の著作権、というものについても同時に皆さんに考えて欲しいテーマですね。このふるかわさんのエントリに書かれている話は広告とネットの関係にも深く関わる話です。

海外では広告(制作物)というのはほぼほぼ広告主のものであって、その結果動画広告は普及に向かっています、色々な形式の動画広告が。

しかしながら、ふるかわエントリに日本の著作権管理の煩雑さについて書かれているのと同様、日本では広告においてもこの権利関係の煩雑さは付きまとうとともに、しかも広告(制作物)は広告主だけのものだけでなく、広告会社・制作会社も著作者として権利を持つなどという話になるのでややこしい。またJASRACさんをはじめとする権利管理団体もネットについては日々検討されている最中で、まだ最終的な結論を出されていないので、正直、ネットでの映像広告というのも権利問題についてはまだまだ今後も議論されることなのでしょう。

とはいえこのあたりの権利のクリアランスは実は気づいたらできるようになっていた、なんてことになるのではないかと思っていたりもします。現時点は「陸蒸気と牛」あるいは「電話をかけるとコレラになる」「写真に写ると魂を抜かれる」といった、新しいメディアに対する脅威からくる、リスクヘッジを考えてしまいますが、実はもっとも大事なことは、リスクではなく、(財産権として、人格権として)権利を持つ者の権利を守り、かつそこで発生する富の再分配を行う仕組み=つまりみんなでハッピーになる仕組み、を考えることです。「***があったら***が起こるから危険」といった思想ではきっとそこにはビジネスは発生しそうにないですね。それはコストにしかならない。むしろ、「※※※を※※※して※※※したらみんなハッピーになるよね」といった思想。この考え方こそが、著作権を守ることになるし、プロフィットを産む=ビジネスになるでしょう。というのも「著作権を守る」というのは「権利を外に出さない」ということでも、「権利を固持する」というこでも、「権利をリスクと考える」ということでもなく、結局は「守る」ことによって「著作者と関係者がハッピーになること」ですから(=権利がリスクになるのは権利者側ではなく、権利の利用者側の論理である)。権利は使わなければ(=“権”)、“利”にならないわけで、そのために権利物を速やかに流通させる仕組みが広告においても必要なのでしょう。しかもネットにおいては統制されたエコノミーではなく、自由なエコノミー環境でなければ流通しない、というのは既に世界的に見ても、日本のネットビジネスを見ても明らかです。つまりネット上の広告ビジネスにおいても、「広告主と制作物の権利者がハッピーになる」ための仕組みを念頭においたものが生まれて生き残っていくのでしょうね。

結局、ポジティブシンキングなところしか、ビジネスは発生しないってことでもあるか。