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メディアと広告とマーケティング、そしてサービスデザイン。

 (『ケータイ学入門』発表前の草稿ver)

2002年5月に出版された、『ケータイ学入門―メディア・コミュニケーションから読み解く現代社会』(有斐閣選書)所収の同名コラムの草稿ver.コチラの方が長いです。

■イントロダクション

 ケータイメディアはいかに「メディア」としての位相を変えてきたのだろうか? そもそも「持ち運べる電話」という情報機器に過ぎないモノが、社会文化的に織られたコンテクストに埋め込まれることによってどのような「メディア」となってきたのだろうか。本章で行うのは、「メディアとしてのケータイ」のイメージを「広告」を通じて相対化し、我々にとっての日常品と化したケータイメディアがどのような位相を経てきたか、それを読み取る作業である。そのために、章の前半ではメディア論/社会学における「広告」論の展開を概観し、広告表現を分析するに当たっての理論的背景を概観する。その後に、いくつかのテレビCMを挙げ、ケータイメディアがいかに描かれてきたかを見ていこう。

■第1節 「広告」の社会学

「広告」の2つの側面-Advertising / Advertisement

 ケータイに関する「広告」を分析対象にする前に、社会学における「広告」の扱いについて見ていきたいのだが、(これは「広告」を研究する際に最初にぶつかる壁なのだが)社会学以外の領域における「広告」の話をせねばならない。というのも積極的に「広告」へのアプローチが行われてきたのは実は社会学ではなく、経済学・経営学・商学・美学・芸術学など社会学以外の領域だからである。しかしながら、これらの領域において研究対象にされてきた「広告」はそれぞれの立場から全て同じものを分析対象としてきたのではない。これらにおいて扱われてきた「広告」が違うのは、「広告」が次に明らかにするような2つの側面を持つからに違いない。 たとえば、「広告」と言われたときにこれを読んでいるあなた自身が何を想像するか?といったところからも安易に推測されることなのだが―――おそらくここであなたの頭に浮かんだものは、テレビのコマーシャルであったり、雑誌の広告であったり、あるいは、街中にあふれる看板だったり、あるいは通勤・通学途中に出会う電車の中吊り広告だったり、今ならインターネットのバナー広告かもしれない...―――、これらは、目に見える「広告」つまり企業のコミュニケーション活動の所産としての「広告物 advertisement」である。しかしながらここで思い浮かべられたものはあくまでも「広告」の一部である。そしてもう一方の「広告」とは、それを実行する企業にとっての一つのマーケティング行為としてとらえた場合の「広告活動 advertising」と呼べるものである。

広告(advertising)とは「広告主の名で人々に商品やサービス・考え方などの存在・特徴・便益性などを知らせて、人々の理解・納得を獲得し、購買行動に導いたり、広告主の信用力を高めたり、特定の主張に対する支持を獲得するなどの目的のために遂行する有料のコミュニケーション活動のこと。」 (『新広告用語辞典』/電通/1998)  企業のマーケティング活動は、「製品Product」「価格Price」「場所Place」「販売促進Promotion」の「4つのP」から成り立っているといわれ、商品開発・市場分析など企業の市場開発=大概念としてのマーケティング領域において「広告」は重要な役割を果たしている。それゆえ「広告」の学が主に、経済学・経営学・商学といった領域で研究されてきたのも当然のことであろう。

 広告理論の構図について重要な研究成果を残した、亀井明宏(1980)によれば、「広告論」そのものの概念が拡大し、広義の「広告理論」は「広告管理論」「消費者広告論」「広告基礎論」の3つによって構成されるという。主に、経済学・経営学・商学のマーケティング論とコミュニケーション論の組み合わせが「広告管理論」であり、社会学や社会心理学とコミュニケーション論が「基礎論」や「消費者広告論」を形成しているとする。つまりここで明らかになることは、「広告」の学自体が一つの学問領域を形成しているのではなく、むしろ複数の学問領域によって形成される学際的性格を持つ、ということであろう。では、事項では社会学の広告論への貢献という意味合いも兼ねて、社会学における広告研究の流れを見ていくことにしよう。

広告の社会学から~マスコミュニケーション論/記号論/カルチュラル・スタディズ

 日本における社会学領域での広告研究は、(1)マスコミュニケーション論の領域、80年代に趨勢を極めた(2)記号論の領域での研究を経て、欧米の(3)カルチュラル・スタディズの流れを経て、「広告」概念そのものへの批判的研究=(4)「「広告」への社会学」という大きな流れがある。しかもそれらが次から次へと変遷してきたというよりは、重層的にこれらの研究が、「広告活動」と「広告物」どちらに対してもアプローチを行い、広告研究に深さを与えてきている。

 概観すると、(1)のマスコミュニケーション論領域における広告研究は、無意識的であれ意識的にであれメディア業界と広告業界の要請から生まれてきたという流れを汲む。つまり、ここでの主題は「どのように広告が効くか?」であった(これが「広告は不必要に我々に商品を買わせようとしている」という批判につながる)。一般的に、これらは、「送り手研究」と「受け手研究」に分けられるが、どちらにおいても多くは広告の効果/効率に関する研究であり、広告に接触した結果、受け手がどのように消費行動を起こすか、ということがその議論の中心となってきた。「送り手」の意図した商品・サービスに関する情報が、いかに「受け手」である「大衆」に伝わるか、マスコミの立場、広告主の立場、それを受けた広告会社の立場、アメリカ的なプラグマティックな研究はそれらの要請に応えるものであったので、そうした研究が行われてきたのも当然のことであろう。しかし一方で、この研究成果は、広告がその作り手=送り手と受け手の間でのコミュニケーション行為である、という認識が生乱したのである。

 次に1980年代の「消費文化論」の枠組みにおいて有効な理論として使われた(2)の広告の記号論的分析は、フランスの思想家J・ボードリヤールによる『物の体系』『消費社会の神話と構造』によるところが大きい。ボードリヤールによれば、人々はすでに「モノ」の機能的な価値によってではなく、その記号的な価値によって消費を行っているとする。その際に記号と化した「モノ」のイメージについて「広告」が誘惑する部分が多いとするのである。また彼の理論構築の基礎となる広告への記号論的アプローチとしては、R・バルトの『映像の修辞学』やJ・ウィリアムソンが『広告の記号論』で展開した「広告表現」に対する分析がある。これは「広告表現」が目にしたままの意味だけではなく、その裏に潜む意味をも伝えており、ひとつの広告におけるメッセージが実は複数の意味を伝えてくるのだ・・・といった「広告におけるメッセージの多様性・重層性」に関する議論であり、広告表現の分析枠組みとしては重要である。

 (3)のカルチュラル・スタディズはイギリスのバーミンガム大学を中心とした知の潮流である。この一連の研究に基づけば、ある表象は送り手の意図どおりに一方的に受け手に受容されるのではなく、送り手と受け手の関係の結果、互いの社会的文脈に応じた受容が行われる。日常的な例でいえば、たとえば広告に使われた音楽が、その本来その広告の送り手が意図した文脈から切り離され、カラオケで歌われ、ヒットチャートにあがっていくような現象、だろうか。このようなカルチュラル・スタディズ的立場においては、受け手が非常にアクティブな存在として捉えられ、かつ受け手が、彼/彼女らのみで自律的に何かを行うのではなく、送り手も含めた緊張関係の結果、社会的文脈の中における表象の受容が行われ、かつ社会的文脈そのものをもつむぎあげていくという点が特徴的である。

「広告」の社会学と分析対象としての「広告」

 これらを見てくると、真鍋一史の言葉で言えば、社会学における広告研究の主流は、広告の「はたらき」に関するもの、広告の「効果」と「影響」に関するものであった、といえよう(真鍋一史1994)。しかしここ数年、今まで見てきたような社会学における広告研究を踏まえ、かつ乗り越えようとする新たな動きが生まれつつある。難波功士が「「広告」の社会学」と呼ぶそれは、「広告」を「広告」たらしめている、あるいは我々が「広告」としてそれを認識するような社会とは何なのか、という社会と「広告」概念に対する批判的研究である(難波2000)。

 日頃我々が接することの多いテレビCM/ラジオCM/新聞広告/雑誌広告といった、マス4媒体、とよばれるものが広告の主流であることは間違いない。しかしそれに加えて、企業PR・イベント/博覧会、また新しい潮流としてインターネットを主に使ったインタラクティブなマーケティングなど、多岐に渡る項目において諸企業コミュニケーション活動=「広告」を行っている。つまり現在の広告業界においては「広告」そのものが拡張されているのだ。となれば当然「広告」の概念自体も拡張されてきているはずである。これを難波の指摘によるところで見ると、日本における広告の歴史的過程としては、

(1) 侵入する広告の時代(~1970年代) (2) 広告界の成立と表現の高度化の時代(~1980年代前半) (3) マーケティング界の拡張の時代(1980年代後半~) なっており、(2)から(3)にかけて、その「広告表現から多くを読み取り、その裏側を見透かす受け手たちの視線」が「商品開発や広告・マーケティング戦略の主体である広告主の挙動へまで引きずり出」(難波2000)し、そもそも商品情報を提供すべきビークルであった「広告」が、送り手である企業(や、作り手である広告会社)と受け手である消費者との間でのコンテクストを形成するコミュニケーション行為となってきたのである。つまり、広告の受け手である消費者は、広告・マーケティングの世界の中に、受け手であると同時にその担い手であるように変位してきたのである。

 私自身実務の中で、テレビCMやその他の「広告物 Advertisement」の生成過程において、複数の立場の、複数の人間が携わることを現場でひしひしと感じてきた。難波の言う広告界は「広告」が社会化・文化化してきた、またマーケティング界は「広告」概念が拡張され同時に受け手が送り手同様のマーケッターになってきた、ということ指す注目すべき概念化である。

 もう1人、直接「広告」について語っているわけではないが、本論において有効だと思われるハワード・ベッカー Howard Beckerの「芸術世界 Art Worlds」に関する議論を見ておこう。ベッカーは『アウトサイダー』の「逸脱論」で知られる社会学者である。一方で自らがバーでジャズ・ピアノを弾いていたという経歴を持ち、このバックグラウンドから、彼は芸術活動について著書『ART WORLDS』においての会学的な分析を行っており、それがここまで見てきた広告の研究に非常に役に立ちそうだ。ベッカーによれば、芸術作品は芸術家が創造した結果の産物ではない。いきなり違和感があるかもしれないが、この文意は、芸術作品であっても、芸術家一人の手によってそれが「芸術作品である」とされるわけではない、ということを指す。つまり彼が「協働者support personnel」と呼ぶ、芸術活動に関わるあらゆる人によって作品は「芸術品」とされている、とする。例えば、作品はその製作過程において、作家自らの手のみならず、作家のアシスタントの手を借りて作られる。あるいは「それは芸術作品である」と認める、芸術家やアシスタント、ギャラリスト、評論家、パトロンなど作品をとりまく人々によって共有される「談話の宇宙universe of discourse」が形成されることによって「芸術品」と認識されるとするのが彼の主張だ(世界で一番有名なアーティストの一人、アンディ・ウォーホルの場合などは特に顕著だが、「ファクトリー」と呼ばれる、創作活動のためのスタジオを持ち、数多くのアシスタントを抱え(名優デニス・ホッパーもその一員だった)、彼らとともに独特のシルクスクリーンの作品を生み出していった)。

 実は広告も同様ではないだろうか? 「広告」はコピーライターやアートディレクター、CMプランナーといったいわゆるクリエイティブ職の広告会社のスタッフのみならず、マーケティングプランナー、得意先との折衝を行う営業、企業の宣伝部、CFの演出家、制作プロダクションの人々など、数多くの人々が関わる。もちろん、その「広告物」を見ることになる消費者たちも、広告制作に至るまでの調査の中でグループインタビュー/アンケートなどで、広告関係者が広告を作るにあたって参考にする「何か」を提供している点で、広告の制作者であり、「広告」を「広告」として認識するためのコンテクスト universe of discourseを構成するメンバーの一員である。難波の言う広告界・マーケティング界とベッカーの芸術世界を重ね合わせてみると、実は「広告」は社会・文化的に形成されるものであるといえるのではないか? またそれが生み出される「制作」とその「受容」を同時に包み込んだ世界の全体=社会的綜合的な構成物が「広告」だといえよう。

 つまり「広告物」で表現されているものは、その時代のイメージであり、社会学的アプローチにおいて、「文献」「資料」としても有効である、ということだ。それを分析することが、さまざまな時期におけるケータイメディアのuniverse of discourseをつむぎ出すことになり、イメージ内容の変遷が、ケータイメディアを「使う人々の姿」のみならず、「ケータイメディアそのもの」の位相を明らかにしてくれるだろう。

■第2節 広告に見るケータイのトポロジーの変遷

メディアに対する社会構成主義的アプローチとケータイ広告への視座

 広告研究をめぐる一連の流れについて早足に見てきたが、それらは「広告」を分析することが社会学的に有効である、という説明に過ぎない。ここから先はいよいよいくつかのCMをあげてケータイメディアの位相を明らかにしていくことになるのだが、2章でも触れたように「情報機器」はそのまま「メディア」なのではない。「情報技術」はそのものだけではデバイスに過ぎない。しかし、ある社会的・文化的コンテクストに置かれることによって、「メディア」となるのである。たとえば、かつてポケットベルという「情報技術」は、オンタイムのビジネスマンにおける「束縛」の「メディア」としての相を見せたが、一方で若年層においてはコミュニケーションを「開放」する「メディア」としての相を見せた。これは同じ「情報技術」が別のコンテクストに埋め込まれることによって、別の「メディア」として存在・機能したという好例である。

 では、広告表現においてある技術/デバイスがどのように描かれているかを、複数の広告を比較・相対化することによって、私たちの中でケータイという「メディア」がどのように変遷してきたのかを見ていこう。

敏腕若手ビジネスマン織田裕二=ビジネスシーンにおけるケータイ

自分の携帯電話はドコモのP203という古い機種。 選んだ理由は、その当時ドコモのCMキャラクターが織田裕二だったからだ。織田裕二と同じ携帯を持つことで、なんだか自分も織田裕二になった気分だった。

織田裕二がドコモのCMからcdmaOneに変わった時、私もcdmaOneにしようかなと思ったけど、携帯はそんなに使わないしなぁという感じで、今でも同じものを使用している。

(インターネット上の織田裕二ファンの個人HPより)  1994年の携帯電話端末買切り制導入当初は、まだまだ個人がプライベートで携帯電話を持つことなどなかった時代であった。そもそも携帯電話は自動車電話に発祥を持つものであったし、それまでのケータイイメージは管理職の持つものという感が強かった。現にNTTドコモでは当初、携帯電話のイメージキャラクターとして「課長・島耕作」の宅麻伸を起用し、「できる中間管理職」を演出。主に法人利用あるいは高所得層を狙っていた。

 織田裕二が携帯電話CMの顔になったのは、1996年2月以降である。その後3年間もの間、NTTドコモの携帯電話=「若い、できるサラリーマン」の使うものというイメージ形成に貢献。結果「ビジネスケータイ」のイメージでは織田裕二がすぐに思い出されるようになった。IDOがライバル会社のキャラクターを奪ってcdmaOneのメインキャラにしたのも、この端末のターゲットが20~30代のビジネスマンであり、その世代の支持率が高いのが織田裕二だった、ということになっている。

「家庭内個人電話」から「電話になった人々」へ

 90年代の頭、PHSのもとになるコードレス電話が各メーカーから多数発売され、当時の各社の広告表現を見ていくと、コードから解放されることによる利便性を重視したものが数多く見受けられる。サンヨー電気による広告は当時のコードレス電話の位相、続くケータイメディアの位相をいち早く表現したものとして興味深い。その広告では、ひとつのコードレス電話に母と子が手を伸ばし、それぞれのプライベートを主張している、という姿が表現されている。

 それまで、電話といえば、家庭に属するものであり、家族の共同所有物であり、そこでプライバシーが守られることなどないに等しかった。電話機自体、廊下・居間といった家族みんなが通る共有スペースに設置され、「家庭内公衆電話」だったのだから当然だろう。しかしコードレス電話は、電話機自体の特性から、「家庭内なら」どこにでも持ち込め、かつプライバシーを守りやすい。後の携帯電話/PHSにつながる、電話による「個人空間」の形成がまず「家庭内」において可能になったのだ。言わば、家族の電話から、「家庭内個人電話」としてメディアの位相を変えつつあった。それがこのサンヨーの広告ではうまく表現されている。

マントに口ひげという出で立ちで建物の屋上に立っているとんねるずの石橋貴明。 「みんなを電話にしてあげよう」というセリフとともに、街行く人々―――ビジネスマン、買物帰りの女性、学生―――に魔法をかける。次の瞬間、煙とともに人々が「電話」になってしまっている。

最後に出てくるコピーは「みんなをデンワにする会社」...。  1995年に、パーソナル・ハンディ・フォン(以下PHS)のサービス開始とともに設立されたNTTパーソナル(のちNTTドコモに合併吸収)のCMである。ここで注目したいのは、「みんなを電話にする」といった箇所だ。PHSは、自動車大国アメリカで生まれ、その後日本においても自動車電話から発展して現在のようなものとなった携帯電話とは違い、家庭のコードレス電話を持ち出して外に使えるようにするというコンセプトのもと、当初より個人での利用を考慮において開発されたケータイメディアであった。

 コードレス電話は、ある一定の範囲=家庭内における「個人空間」を作ることに成功したが、あくまでもそれは「家」に属するメディアであり、電話と僕らの身体的な距離感覚は皆無に近かった。しかしこのNTTパーソナルのCMは後に、ケータイメディアが、僕らの身体と同化し、自分たち自身が「電話化」することを結果として指摘したのである。

 しかしこのNTTパーソナルのCMについて人々が変化した「電話」は、今イメージされるような、ケータイメディアではなく、「固定電話」であったという点も留意しておこう。つまり「パーソナル」の象徴であったのだ。

浜崎あゆみのTU-KA

時間が止まったかのようにピクリとも動かず、人形のような無表情さで、冷たい床にうつぶせになっている女性。 血管まで透けてしまいそうな白い右腕から、生身の人間が持つべき赤い生気のある何かはなく、代わりにメタリック・シルバーのメカニカルな構造を剥き出しにしている。 そこに同様の色のケータイが現れれ、同時に静かに動き出す機械。目を覚ます女性。 外見は普通の人間だがアンドロイドのような彼女のエネルギー源はケータイのようだ---。  これは、1978年生まれというケータイ・ジェネレーションに大人気の浜崎あゆみを起用したTVCMのストーリー。関東圏で2000年初頭にオンエアされたこのツーカーセルラー東京のTVCMはこれまでのケータイCMとは一線を画している。

 今まではケータイの利用シーンを映像化したCMがほとんど---織田雄二のイメージに代表されるような仕事の電話をしているビジネスマンのような---だったが、浜崎あゆみのCMはケータイと人との「距離」を表現している点でそれまでとは全く違う。その「距離」は「0(ゼロ)」だ。 例えば、「常に身に付けているものは?」と質問をしてみたい。時計?指輪?ブレスレット?ネックレス? しかし意外と口から出てこないのがケータイだ。単に、ポケットに入っている、バッグに入っている、首からぶら下げている...といった、物理的に身につけている感覚はなく、すでにカラダの一部となってしまっている感覚=「0」が我々とケータイの距離になってしまっているのだ。それだからか、失なった時の不安感は、時計その他の比ではない。それはなぜか? ケータイそのものが、その人の存在する世界・環境を凝縮したものに他ならないからだ。別の言い方をすれば、人はケータイを持つことで自ら所属したい世界を自分自身に引き寄せることができ、また持つこと自体が自分という人間の存在理由にもなるからだ。しかも同時にバックに流れる歌の歌詞は「わたしらしく、あなたらしく」...。

 こんな例はどうだろう。とあるカップルがお互いの時計を交換し、それぞれの腕にはめていた。こんなことをするのは、相手のモノを身に付けることで相手との距離が「0」に縮まるという理由らしい。それは、時計そのものが彼氏/彼女の身体を縮小したもの=彼氏/彼女にとってはその時計は彼氏/彼女自身だということでもある。そうすることで相手との関係の中で自分自身のアイデンティティをも確認しているのだ。

 ではケータイの場合は? 自分のカラダの一部であるなら、そこからつながるいろんな人々との距離感ももはや「0」に近い。そして複数の人とのケータイでのつながりが、自分自身という人間の存在理由になり、その輪郭を明確化させることに成功する。実際に「つながって」会話をしなくても、アクセシビリティ(つながる可能性)があればそれでよい。それだけでケータイは、「ライフ・ライン(生活導線)」という以上に、常に生放送のようなライブ感で世界とつながることのできる「ライブ・ライン」となっており、そこから自分の存在に対して栄養源を与えられ「生きている」。浜崎あゆみのTVCMにおいて、ケータイは、生きるという「スイッチ」であるとともに「エネルギー」でもある。つまりはあのCMに描かれているのは我々自身のメタファーとなっているのだ。

J-Phone 「ミーメディアへ」

 かつてメディア論の始祖でもある、マーシャル・マクルーハンはメディアは人間の身体を拡張するといった。テレビは視覚を拡張し、自動車は足を拡張し、電話は耳と口を拡張する。ケータイは五感のみならずもっと別の何かを拡張している。アイデンティティそのもの。ケータイを持たない自分は自分ではない。浜崎あゆみのCMでもあらわされていたように、ケータイは「距離ゼロのメディア」つまり自分の中に埋め込まれ、自分を拡張してくれるメディアなのだ。社会的なウェブ、人間関係のインターネットへのアクセスツールとしてケータイはある。僕らは極めて控えめな社会的性格を持っている。「自分が、自分が」という自己主張の強い人間ほど、社会的に浮いて見られるような怖さもある。どちらかといえば、ケータイはアクセスツールでありながら、積極的に他者に呼びかけるツールなのではなく、「呼びかけられる」ツール、社会的なウェブの中に溶け込むためのツールなのかもしれない。

 J-Phoneの2000年広告キャンペーンのキーワード「ミーメディア」もそうした、「ケータイを持った私」をあらわす巧みな表現だ。自分が携帯する「マイ・メディア」が「ケータイ」ではない。ケータイを持つ自分が社会化されている、といったことが広告化されているのである。

メディアの変容と位相、そして広告

 カルチュラル・スタディズの重要人物の一人である、ジョン・フィスクは『テレビジョン・カルチャー』、『テレビを<読む>』といった著作において次のように語っている。テレビは一方的で支配的な「意味」を再生産し、継続的に固定しつづける権力装置であること、またテレビは人間が構成したものであり、事実を忠実に再現する透明なものではなく、常に不完成なものであると位置づけた。そしてそれを受容する視聴者は、別の「意味」を解読し、不完全なものを完全なものへと完結させるという。

 フィスクの議論は、主に「テレビ番組」を指すものであった。しかしCMにおいては、それが先述したように、企業のマーケティング活動を担うものであるがゆえに、企業が再生産する「意味」に消費者のコンテクストが織り込まれている。テレビが一方的に生み出されるのに対し、広告は「制作」と「受容」を包括した世界において生まれてくる。

 単にあるメディアがどのような位相を経てきたか、ということだけでなく、それが生み出されるプロセス自体が、あなた自身を含む社会文化的なプロセスである。しかしながらCMは、あなたが現実に出会うさまざまなテキストのほんの一部分かもしれない。それゆえに、すでにあたりまえと化した今のケータイの位相を過去のCMを通じて見ることで、新たな発見をしてほしい。