mediologic

メディアと広告とマーケティング、そしてサービスデザイン。

『明日の広告』と検索連動型広告と、広告が生み出す空気と、もろもろ。

月曜日に、電通時代の最後の上司であった、「さとなお」さんと飲んだ。

実際にはさとなおさんとじっくり飲んだのは、電通入社前(笑)なので、こういう会自体相当ご無沙汰だったんだけれども、お会いするのさえ相当久しぶり。

※きっかけは、たまたま京浜東北線の某駅そばの歯科医に通っている僕、しかも、予約に遅れそうで慌てていたところを発見され(笑)、メールをいただいたところから(^^;;;

さて、何人かの若手にも声をかけ、4人の20代の若者+さとなおさん+僕、となったのだが、やはりネタは『明日の広告』の話に。

この業界の本にしてはとんでもない部数になっており、おそらく業界市場最大の部数に到達するだろうこの本の中でも、多くの人が「広告とはラブレター」というところに感銘をうけているようだ。さとなおさんとも話をしていたのだが、実際にはこのフレーズは広告業界、いやトラディショナルな広告業界の中ではちょっとした人であれば、あまりにも普通に口にしていたし、たとえば僕が始めて同様のフレーズを聞いたのは博報堂時代の超すばらしいクリエイティブディレクターからだった。ただ、このフレーズは思ったほど世の中に浸透していなかったのだろう。そのフレーズがこの本を通じて世の中に広まった、特にネット広告業界の若者たちにも広がっていったのは非常に喜ばしいことだと僕は思う。

ネット広告業界の若者たちの中では、非常に閉塞感がある、と少なくとも僕は感じている。彼らの中には「広告業界に憧れて」、それ系の会社に入社を決めた、というのも多い。しかしながら、実際には、ネット広告の世界は、購買行動プロセスの下部の部分、いわゆる below the line といわれる、購買直前の行為が(相対的にマスメディアと比べて)捉えやすいから、そうした類の広告活動が中心になってしまっている。つまり、計数的・機能的な面での広告の面白さは楽しめるだろうが、創造的・エモーション的な面での広告を楽しむ機会は多くの場合ないだろう。

特に広告の後者の機能については、非常に重要なものであるにも関わらず、ネット広告業界の中には、それらについて教えられる人がいない環境なので、そもそも学ぶ機会が存在しない。

こないだも某若者に、ブランドやイメージの重要性について以下のような話をした。

同じミネラルウォーターが入っているペットボトルを二本用意。
片方はラベルがついてない。でももう片方には evian と書いたラベルが貼られている。
どちらをとるか?

多くの場合はラベルが貼られているほうを手にする。

機能的には変わらないかもしれないが、そこに加味されるブランドやイメージというもののポイントを表す、非常に簡単かつ重要なたとえである。

さて、そこでさとなおさんが『明日の広告』でも書かれている、「検索連動型広告は“広告”ではない」という話について。

これも飲みの席で、二人の見解として、まとまったんだけど、それは広告をどのように定義するか、による。当然と言えば当然だけど。

正直な話、僕自身は、検索連動型広告は「広告じゃない」と思っている派、だ。
むしろ、「24時間オープンしている営業窓口みたいなもの」という風に考えている。
生活者にとっての“検索”とは、いわば“問い合わせ”のようなものであって、それに対する窓口なんだと。つまり電話帳広告と一緒。

※まぁ「電話帳広告」って言うことばもあるということで広告の定義次第、ほんと。ただし電話帳広告がマスメディアと比較されることがないように、検索連動型広告は***より効果的です、ってのはまったくもっておかしい話。

ただ“電話帳”にしても“検索連動型広告”についてもどっちも「三河屋さん」的なもの。それも含めて「広義の広告」として、「検索連動型広告も広告」なのであって、狭義においては検索連動型広告は「広告」と考えないほうが正しいとらえ方だと思う。

明らかなのは、“検索連動型広告”というのはユーザーサイドの行動 action や、意図関心 intention があって初めて成立するものであり、じゃあその行動を促したのはなんのよ、と。従来の(狭義の)広告はどちらかといえば、こっちの「行動を促す」とか perception change の側。

そういうこともあり、僕自身は“検索連動型広告”というものは「スゴい、よくできてる」と思ったことはあっても、「素晴らしい」と思ったことは、正直ない。

だって、人の心を動かす、ってことでいえば、それはクリエイティブやコミュニケーションプランの領域であり、興味を発生させ理解させるといった「ふりむかせ」るための広告の世界。一方、検索連動型広告のように、すでに発生している興味にあわせるのであって、これはこれでテクノロジー的にはスゴいことなんだけれども、“ラブレター”にはなりえない。言ってみれば、「自分の好みの異性」をずらっと並べてるようなもんだし。そりゃ選ばれやすい。しかし、振り向いてくれないかもしれない相手を振り向かせる、っていうことも、がんばり次第。しかもがんばらないと、市場は広がらないし、新しい市場なんてつくれっこない(まぁだからこそ、トラディショナル広告の世界は難しさが伴う)。

また、検索連動型広告の世界では比較的知られた話だが、クリックされやすい広告とは知られたブランドの広告であることが多い。つまり、検索連動型広告というのも、商品棚に陳列された商品と同様、「ブランド親和性 brand affinity」が大事ということである。

ただし違うのは、「広告」のためのブランディングということになってしまうことだ。この点において、やはり検索連動型広告は、「営業窓口」と考え、自分たちの窓口を選んでもらうためには、そのほかのブランディング活動・マーケティング活動が必要である、ということになる。

そのようなブランドとの親和性を作るということと同様に、「広告(ないしは商品)が受け入れられやすい環境」というのも重要なテーマだと思う。

検索連動型広告は、「すでに広告(ないしは商品)が受け入れられやすい環境」に出現する。
一方、コミュニケーションプラニングは、「受け入れられやすい環境を作る」ことなのだ。そのために広告という手段をいかに使うのか。

Admosphere = Ad + Atmosphere = 広告によって作られた空気・雰囲気。

というものもちゃんととらえておかないと。

そのためにこれまでの先人の広告活動からも学ばないといけないし。
過去の広告、現在の広告、がわかんないのに、明日の広告、がわかるはずはなかろう。

ということなどを飲んでる最中、帰宅時、その後、も考えた会だった。


実は、このさとなおさん以外にも、もうひとりの電通時代の兼務先の上司や、博報堂時代の上司にお会いしたりしている。

自分自身の広告業界の役割について、色々と考えさせられるとともに、僕には僕がやらなければならないアクションがあるのだな、確信させられる日々。