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“パノプティコン”

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イギリスの哲学者ベンサムによって1971年に提唱され、ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』で現代思想の一部に組み込まれた概念に“パノプティコン”というものがある。

「一望監視装置」とも言われるそれは囚人監視の仕組みの一つ。監視施設を中心にして、囚人の“房”が放射状に配置され、監視員から見たときに全ての“房”は明るく、囚人の動きを一望できるようになっているものの、囚人側から見ると監視施設は暗く、中の人の動きは見えないという構造になっている。

この構造は非常に利に適っており、必要最小限の監視員だけで全ての囚人を監視することができるのだが、もっと言えば、もしその監視員が監視施設の中にいなかったとしてもその監視施設は機能する。それは囚人からは監視施設に人がいるかどうかは元々見えないゆえに、「常に見られている」という感覚にさせることができるからである。これを、アダム・スミスの「見えざる手」に対しベンサムは「見えざる目」を開発したという的を得た指摘もあるが、ベンサム自体はそうは考えてはいなかった。

ベンサムは「最大多数の最大幸福」という言葉生み出した功利主義者であり、この考え方は“快楽は善、苦痛は悪”ということにあり、それまで酷い環境であった監獄をよりよい環境にするためには、「すべて pan 見る optic 」=一望監視施設 panopticon が必要で、それによって経済的な運営と囚人の福祉が守られ、世の中にとって利になる、と考えたのである。

一方、ミシェル・フーコーは『監獄の誕生』の中でこのパノプティコンを、管理された社会システム、統制された環境を指すものの比喩として使った。つまり「実際は監視されていないのに、監視者を意識下に作り上げ従うこと」あるいは「実際には機能していないもののあたかもそれがあるだけで、監視されているような気にさせてしまうもの」が、今では“パノプティコン”という言葉が持つ意味となっている(例えば前者は「みんなに見られているからダイエットしなければならない」と自分で思い込むことであり、後者は実際には撮影機能の無い監視カメラなどである)。

最近関わった仕事を通じ、この“パノプティコン”という言葉を久しぶりにふと思い出したわけなのだが、それはやはりフーコー的な意味でのそれであった。

とりわけインターネットの世界では、新しい考え・新しい仕組みが出てくれば出てくるほど、それらを受け入れられず“監視せねば”という姿勢になってしまう人々も増えてくる。
しかしながらネットビジネスにおいて起こっていることは、古いビジネスの仕組みを一度再構築し新たな社会的功利をも生み出すというものも多い。

つまり“監視する”だけでなく、新たな仕組みをどうとらえそこで“利”の分配がいかになされるか、という方法を考えるほうが前向き。

功利主義者ベンサムが本来目指した「最大多数の最大幸福」につながるべきなのだが、どうも今まだ残るパノプティコンは「最大多数の最大不幸」につながってしまっているものはまだまだあるな、と思う今日この頃である。

しかしながらこうしたパノプティコンは社会的な要求に崩されてしまうだろう、と僕は考えているので、まぁ、時期を待とう。なかなかこの辺、「何を夢物語を」という感じにとらえられてしまい、理解されない部分ではあるのだが。


監獄の誕生―監視と処罰
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5 現代人誕生の謎にせまる!5 狂気の歴史と監獄の誕生4 学校と監獄


このエントリを見て、ふと書きたくなったのでした。